2007年07月 アーカイブ

2007年07月26日


プロフィール


笠原顕司経歴
1949年 長野県岡谷市生まれ
諏訪清陵高校卒。法政大学工学部建築学科卒。
東京・岡田建設、宮坂修吉建設設計事務所、日本設計、諏訪総合設計を経て、
1981年 笠原顕司建築創作所設立。



事務所概要
商号 笠原顕司建築創作所
設立 1981年
所在地 長野県岡谷市塚間町2-2-21 〒394-0026

詳細はこちら・・・
代表 笠原顕司
電話 0266-24-0467
FAX 0266-22-5992
URL http://www.ks21.jp
加盟団体 NPO法人 家づくりの会



建築展等


展示会 企画・主催 会期
第4回未来をのぞく住宅展 アーキテクト・スタジオ・ジャパン(株) 2007.1.20~1.21
第3回未来をのぞく住宅展 アーキテクト・スタジオ・ジャパン(株) 2006.10.21~10.23
見て!触って!継ぎ手展 家づくりの会 2004.11.4~11.27
建築+絵画展
「移ろいゆく建築~生命への回帰」
岡谷市・カネジョウギャラリー
飯田市美術博物館市民ギャラリー
小県郡長門町ふるさとセンター
松本市・Mウィング(中央公民館)

1999.2.3~2.7
1999.4.6~4.11
1999.11.21~11.23
2000.6.21~6.27

第32回新建築講演会 石山修武氏 企画 1989.6.3
フォッサマグナ建築展 岡谷市婦人総合センター 企画 1989.6.1~6.3
家づくりの会建築展 岡谷市・ビアアピタ 企画 1987.8.7~8.10



WALK-IN


1988年に竣工した混構造住宅です。施主は趣味の多い人で、この家の居間を使って卓球に興じたり、庭の広いポーチを使ってバーベキュー・パーティーを開いたりして当時はおおいに活用させて戴きました。 玄人はだしの建主のIさんはここで、ご自身が率いるジャズバンドの練習もします。外皮は塗装なしのガルバリウム鋼板の素材が使われていますが、年数を経た今日でも鈍い光を放ち、味のある材料だと思います。この家が出来た当時は南の前面が田んぼで、カエルが騒々しいくらいでしたが、年々田んぼの面積も減ってしまい、東隣のリンゴ園もいつのまにかパチンコ屋さんになってしまいました。内部は居間の中央に10メートル近い吹き抜けがあり、この空間の最上部のトップライトからさんさんと光が射し込み、夏は布製のブラインドを作り、光を遮断したものです。 南側の庭に植えた梅もどきや白樫などの木々もいまでは随分大きくなって生い茂っていますが、小鳥たちは秋になると必ず木の実を求めて飛来しているようです。今年で14年になりますが、今でも相変わらず存在感のある建築だと思っています。


建設地 長野県岡谷市
家族 夫婦+子供2人(ともに成人)
型式 専用住宅
1階床面積 110.49㎡(36.21坪)
2階床面積 104.28㎡(31.60坪)
延床面積 223.77㎡(67.81坪)
建築面積) 136.27㎡(41.29坪)
敷地面積 326.48㎡(98.93坪)

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木曽谷の風神楽


この家の御主人のM氏とは家づくりの会を通じて知りあいました。M氏は定年を迎えられて会社を退職され、東京を離れて故郷の山口村に家を建てました。敷地は木曾谷を見下ろす場所にあり、静寂と澄んだ空気は健康的で、見晴らしも絶好の場所。谷底を流れる木曽川を越えた岐阜県側には標高950メートルの高峰山がゆっくりとした時の流れをつかさどっているかのように緩やかな稜線を描いています。ここはいままで畑だったので土が軟らかく、また田んぼに囲まれ、湧水に戸惑いましたが、出来上がった家には満足していただいております。この家の東西の中心線は東側の国道19号線に面した諏訪神社の社の軸線につながり、こんもりとした森に囲まれた社の境内には南方の亜熱帯の植物も数多くみられます。ここは長野県の南端に位置するので、雪も少なく、気候的にはおだやかです。眺望のきく西側には御主人の特技の居合道の道場を備えていますが、ここから西方を望むと、田園風景の向こうには木曽川と小高い山並みの織りなす曲線が続いています。道場の床や壁を始め、廊下や居間の廊下には節の多い桧を使い、寝室の天井には揉み和紙を、ふすま紙には九頭竜紙、又、照明器具は私が設計した本美濃紙を貼ったものを使っています。屋根は東西にむくりをいれ、Mさんの舞う居合いの剣先が描く円弧が宇宙や大自然に呼応するかのように、曲線的な屋根の先端の造形的な隠喩として取り入れられています。深い庇の懐は2mを越え生命の宿りそうな闇の気配すらあります。外部の石垣には現場で産出した石と近くの美濃石を積み、外壁は漆喰と土壁と厚い杉板の組み合わせです。


建設地 長野県木曽郡山口村
家族 老夫婦
型式 道場+住宅
規模/敷地面積 450.00㎡(136.36坪)
1階床面積 17.13㎡(5.19坪)
2階床面積 146.07㎡(44.26坪)
延床面積 163.20㎡(49.45坪)
建築面積) 165.64㎡(50.15坪

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風越す山麓の家


飯田市の北にある風越山の山麓に位置するこの家が出来たいきさつは、建主の武田さんの息子さんがある日、お住まいの家の近くの道路を車で走行中に、たまたま私が設計した近くの家(日長庵)を見つけ、一目で気に入ったのがきっかけでした。この家は急な斜面に建っていて白と黒の外壁。それに敷地の南を東西に走る道路からは見上げる方向になるのでよく目立ちます。息子さんは、幸いにもたまたま家におられた、この家のご主人の小島さんに会って家の中を見るうちに心が決まり、家族を説得して賛同を得、まもなく計画が始まったのでした。武田さんの敷地に以前からあった家は築30年を経過し、平屋建てでしたが、息子さん夫婦が近くの公団住まいから、2世代(2所帯)住宅を望み、同じ屋根の下に住まうことになりました。建主の武田さんのご家族はご両親と息子さんの和也さん夫婦、それに10才の男の子と8才の女の子、それから息子さんの妹さんの7人。 1階はご両親と妹さんのスペース、2階は息子さん夫婦の居住空間です。2階の吹抜けの手摺りは白く塗り回し、この回りを子供達が跳び回れるようにと考え、たとえ汚れてもまた白くできるし、そうした繰り返しが家の年輪になっていけば、身体の成長とともに心の歴史をも刻むことができるのではないかと思っています。この家では2つあるベランダ、1階勝手口にある足洗い場などが特徴で、やや勾配の急な全面道路(家の東側)からのコンクリート土間のアプローチには玉石を埋め込み、排水の溝を設けて道路からの雨水が家に向かわないよう配慮しました。


建設地 長野県伊那市
家族 夫婦
型式 専用住宅
1階床面積 110.86㎡(33.59坪)
2階床面積 89.98㎡(27坪)
延床面積 157.93㎡(47.86坪)
建築面積) 154.91㎡(46.96坪)
工期 1997年9月~1998年6月
構造 木造

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日長庵






建設地 長野県飯田市
家族 夫婦+子供2人
型式 専用住宅
規模/敷地面積 386.93㎡(117.25坪)
1階床面積 80.94㎡(24.53坪)
2階床面積 47.07㎡(14.26坪)
延床面積 173.06㎡(53.35坪)
建築面積) 118.71㎡(35.97坪)
構造 木造一部鉄筋コンクリート造2階建

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伊那のゲストハウス


この住宅は伊那市にある(株)医学生物学研究所(本社は名古屋市)の社宅です。 ここはまた永らくアメリカで研究を重ねられたY氏が、伊那の研究所長に就任されるにあたり、会社がご夫妻の為に用意したご夫妻の住まわれるゲストハウスです。赤松とカラ松林に囲まれ、地バチの巣が多くあり、春から夏にかけ田んぼのカエルのけっけっという高音やブオブオというような低音が混ざって賑やかなところで、また春先にはワラビやセリなどの野草の生い茂る環境は都会住まいに慣れたご夫妻の息抜きの場になっています。敷地界隈にはマレットゴルフ場や市営グラウンドもあり、虫の好きなY氏にとってはまたとない「場」なのですが、それに加えてご夫妻が時々休日に登られるという、雄大な南アルプスの仙丈岳が眺望できることが何よりの安息を生んでいるようです。
 基礎は鉄筋コンクリート打ち放し仕上げ、外壁は杉板で厚15ミリ、屋根はガルバリウム鋼板葺きとする一方で、、内部に入ると印象が変わるような設計にとの思いもあり、壁の漆喰、天井の桧板などが、桧の太い柱やベイマツの梁を組み合わせた架構に馴染むよう心がけました。居間の米国V社のマキストーブを中心に、香ばしい広葉樹の赤々と燃える炎を見ながら、南アルプスの山々や住まいのまわりの木立を眺められるというように、また食堂に据えられた手づくりの桧のテーブルの香りを楽しみながら、和紙の照明で食事をするという醍醐味が相乗的に効果を生むように、それに吹き抜けのトップから差し込む木漏れ日が優しく御主人達の安らぎを包み込むことになればと考えています。
 車庫からすぐに玄関にアプローチできるという計画は成功しているようで、雨の降る日は便利だと好評です。

 当初別棟の車庫を考えていましたが、これは広い敷地ゆえに平屋部分の屋根を北に延ばしたプランに落ち着かせたことが大きいようです。日が暮れたあとの夕闇に映し出されるこの家の夜景は、付近に灯りがないせいもあって、闇の暗黒と家の幻のような薄明りが幻想的に詩情を奏でています。




建設地 長野県伊那市
家族 夫婦
型式 専用住宅
1階床面積 110.86㎡(33.59坪)
2階床面積 47.07㎡(14.26坪)
延床面積 157.93㎡(47.86坪)
建築面積) 154.91㎡(46.96坪)




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温泉ハウス




この家は「温泉ハウス」といいます。こじんまりとしたこの家の1階の構造はハの字形のコンクリート 壁(厚さ30cm)の上に鉄骨梁を載せ、鉄のデッキプレートというものを敷いて、その上にコンクリートを打設しています。2階は鉄骨の屋根を支える軽量鉄骨(チャンネル)の柱に木の間柱を抱き合わせ、筋カイを入れ、構造用合板でがっちり固めています。温泉を引き込んでいるので、常時これが浴室などに使えるというメリット、恩恵があります。床暖房は1階の居室に施されているほか、補助暖房としてFF式クリーンヒーターの設置も可能になっています。2階の暖房は同じくFF式ヒーターとエアコンの併用になっています。ガラスを多用していますが、家に囲まれているので、見せたくない所はフロストガラス、もしくはフロストシール貼り、外を見たい開口部はトーメイガラスを使っています。これらの開口部の全てはペアガラスなので、断熱効果と遮音効果があります。またペアガラスは防犯上の効果もあります。



建設地 諏訪郡
家族 家族+猫
型式 専用住宅
構造

鉄筋コンクリート+鉄骨+木造
(混構造)2階建

暖房 床暖房、FF式ガスクリーンヒーター、エアコン
敷地面積 291.09㎡(88.21坪)
建築面積 60.84㎡(18.44坪)
1階床面積 55.60㎡(16.85坪)
2階床面積 37.85㎡(11.47坪)
延床面積 93.45㎡(28.32坪)

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更埴の家


長野県更埴市は「あんずの里」として有名で、春になると大勢の観光客で賑わいます。薄いピンクの花は山一面に咲き誇りまばゆいばかりです。更埴市のM邸は、2002年の末に完成した、東京都にお住まいのM氏の週末住宅です。週末になると家族でこちらに来て、自然を満喫し、活力を補うことも家を建てた目的のひとつです。敷地の中には狐を祭った小さな「やしろ」があります。これには赤い鳥居もあり、狐の神様達は、江戸時代から住まわれている、先祖代々の長い生活史を、見守ってきたようです。数百年の歳月を刻んだ古い家は、この家の着工とともに取り壊されましたが、神棚や古色のタンスはそのまま使うことにしました。これらは新しい家の中で存在感があり、何故だか居心地がよさそうです。 更埴は寒冷地なので、屋根には厚いポリスチレン系の断熱材を入れ、外壁の外側には空気層を確保して左官の塗り壁とし、床には屋根同様の断熱材を入れて、ぐるりと保温しています。ガラスもペアガラスです。この家は玄関の上に浴室が載っていますが、綿密な計算のもとにFRP防水という半永久的な施工で、これを可能にしています。居間、食堂、台所、廊下などの床には、厚さが24ミリの秋田県北秋田郡比内町の秋田杉を使いましたが、保温に優れ、素足に馴染みます。2階廊下の屋根のトップライトからは、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、これが家全体を明るく、陽気なものにしています。敷地にはあんずの大木が1本、小柿という、黒い小さな実のなる柿の木が数本あり、これらの木の様々な造形が、これもまた太陽の光を受け、建物の薄いグレーの外壁に陰を落として、建物に生命の息吹を与えているようです。檜、杉、ベイマツといった木々と白い漆喰の壁がもたらす。 自然という恵みに、またそれらが奏でるガラス越しの、或いは住まい手との空間のハーモニーの中で、家の歴史が再び一歩づつ刻まれ始めていくことに、建主ともども感慨を抱きます。長野市のT建設のおかげで実現したこの家で、家族や親族の皆さんがいつまでも慈しみを持って長く大事に住まわれることを期待しています。



建設地 長野県更埴市
家族 夫婦+子供1人
型式 専用住宅
構造 木造2階建
暖房 FF式ガスクリーンヒーター
と エアコン併用
敷地面積 587.16㎡(177.93坪)
建築面積 78.08㎡(23.66坪)
1階床面積 67.10㎡(20.33坪)
2階床面積 68.39㎡(20.72坪)
延床面積 135.49㎡(41.06坪)


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自邸増改築


 南側全景

母屋は築90年以上。入母屋の瓦屋根が重く、永年の風雪を経て、梁が曲がり、瓦も荒れ果ててしまった。柱や梁の曲がりやねじれはともかく、瓦の一部は2002年に葺き替えた。おかげでかねてからの懸案の雨漏りや瓦の落下は無くなった。黄色い腰板部分は2003年の増改築になる子供部屋。1階の真ん中は、8年間父の介護室だったが、その後、内部だけを子供部屋に改装した。


母屋の年代別増改築 

左より1993年の父の介護室の増改築あと、2003年の子供室の増改築、そして、1984年の台所の増築。 1993年からは父の介護生活が始まり、2003年には小一の子供の部屋が出来て4月から使い始めた。1984年には私が所帯を持つ準備として、和室の廊下に接続して台所を作った。 左の屋根はガルバリウム鋼板の銀色、真ん中の屋根はガルバリウム鋼板のいぶし銀黒、とんがり帽子は、当時のさびなしルーフ(三井金属)。


 西側全景

2階の左半分は洋室(残念ながら数十年前の父と母による改造で、往時の姿は失われてしまったが)、右半分は和室6畳。 1階の新しい部分は2002年の増改築部分で、一時母の介護室になっていたが、現在は多目的室。塀を作りたいが、今はまだ思案中。


子供部屋の西側を見る 

父の介護室だった部屋は、向こう側で、ここは天井、かべ、床を張り替えた。障子や床組、柱や梁、屋根はそのままとした。 手前側には浴室や洗面所があったが、数十年来封じ込められた湿気などで、シロアリの害がかなり進んでいた。(木造の浴室は特に害が進むのでコンクリートの壁を推奨)


 子供部屋の北東側を見る

左の古い障子や廊下は90年以上の歴史がある。障子は和紙を貼り替えればまだまだ使える。この廊下の床下はシロアリが巣くっていた。 新しい部分の壁には杉板、床には桧板の15ミリ。建具にはスプルースを使っている。 この辺には2002年まで浴室や洗面、トイレがあったが、別の場所に新たに作った。


現在の多目的室 

ここは2002年までは母の介護室だったが、2004年からは家事の多目的室として使っている。床暖房にすると、冬でも暑いくらいだ。右手奥の引違戸は、以前は外部に面していたが、それを水洗いして透明の塗装をほどこした。 右手前のタンスは明治の年代物。床は秋田杉で、厚さは24ミリ。 正面の向こう側は北側になり、現在は、浴室兼洗濯室となっている。(ここも床暖房)



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    2007年07月31日


    リンク


    おすすめリンク


    家づくりの会 家づくりを真剣に考える住い手と設計者(建築家)の出会いの場
    住宅新報社 「住宅新報」掲載記事のダイジェスト、「Housing TIMES」の掲載ニュースリスト等。
    新建築社 「新建築」「新建築住宅特集」「JA」等。
    主婦と生活社 ジュノン、週刊女性、すてきな奥さん等を発行。暮らしの便利帳、星座占い等。
    株式会社ビープロ デザインスタジオ。ホームページ制作他。


    友人・その他


    Yoshiro Negishi Gallery 岡谷市在住の根岸画伯の絵画を紹介したページ。
    カプチーノ イタリア料理を基本に、和・洋を取り入れた創作イタリアンのお店。

    著書 「住みかのヒント」


    ご挨拶

    「この度、『住みかのヒント』という本を出版いたしました。出版にあたってこの数年間、皆様には多大なる御協力を戴き、深く感謝申し上げます。有り難うございました。皆様には、在来工法で住みかを建設する前に、是非ご愛読戴きたいと思います。こちらでは最初の冒頭部分のみをご紹介させていただきます。


    設計者からのメッセージより...

     はじめに


     住みかは美しく作りたい、そして住みやすく居心地の良い家にしたい。それに長持ちする丈夫なのがいい。自分の住みかなんだから他にはない独自の個性も欲しいし、手作りで体にやさしいのもいい・・。家は自分の城。子どもの頃、地面に穴を掘って屋根をつけて自分の縄張りだと言って友達との境を作ってみたり、またある時は木の枝の上に切れ端の板で見晴らし台をつくったりして「自分の陣地」と称して得意になっていたし、梯子も自前で作ったのです。どこで材料を「仕入れたか」は不明で、当時はまだ農耕用の馬や牛が石ころだらけの狭い道で幅を利かせていた時代ですから、大八車から落っこちて道ばたに転がっているような板で十分間に合ったのです。


     そういえば私が育った信州は雪も降り、冬になると「かまくら」という雪の洞穴のような住みかをよく作りました。スコップで背丈より高い位まで雪を積み上げ、夜には水を撒いてぱんぱんたたいて固め、人がかがんで入れるようにくり抜くのです。中に入ると結構暖かくて、蝋燭を灯し、炭のコンロで餅などを焼いて家族と共に楽しみましたが、これは子どもの頃の遊び心の仮の住みかとしてたいそう懐かしく思い出されます。また土蔵の前の曲がった梁にブランコを吊ってもらい、その梁がギイギイ擦れる音を楽しんだり、五月の節句の幟(のぼり)を立ててもらって、大空の鯉幟が澄み切った白い初夏の光の中で、悠々と泳ぐのを見上げていたり(これは紙で出来ていたので、すぐにどこかへ飛んでいってしまった。)していた当時の事が、それ以後一度もそういう新鮮な感激を抱いた事が無いので、よりいっそう、鮮明に記憶しています。こういう子どものころの夢の様な深い心象風景は忘れ難いものです。この風景はいつも背景の建物と一体となった記憶で、古びた漆喰の壁や黒いコールタールの屋根や、すけすけで向こうが見える、風雪で灰色がかった捻れ曲がった板塀の存在がなくては語れないものです。


     ロシアの文豪トルストイは、「アンナ・カレーニナ」の冒頭で、「幸福な家の顔はまず一色だが、不幸な家の顔は家によりまちまちである。」といいます。幸福な家にはあかりが灯り家族の笑い声が絶えないでしょうが、いつも人のいない家はなにか陰鬱で、空虚です。家がなくなるということは、一家が離散する事でもあります。家という物が、家族にどんな役割を果たしていたか、これは家が家族の絆にとって欠かせないものだということです。これは、地に這う虫も、空とぶ鳥も、生き物である限り、自らの住処に関心を持たぬものは無いということで、住処とは生命の前提、生活の土台です。さてその住みかのイメージとはどんなものでしょう。こんな大きさ、こんな色、そして雰囲気とは・・。


     落語家の古今亭志ん生は、「なつかしのなめくじ長屋」の中で、「醤油を切らしたといえば、隣が貸してくれる。となりが魚のアラを買ってくると、こっちから大根を出して煮て、そいつをわけ合って食べるってえ具合で、お互いに都合しあって暮らしている。」と述べています。長屋住いも良いもので、人情が細やかで助け合いの精神が生きているのですが、かえってこれは鬱陶しいと思う人もいるでしょう。ただ、困ったときはお互い気心が知れているので、とても有り難い。


     戦前の家に比べて、最近の家屋は暗がりが少なくなった様で、家の中が明るくなった代わりに、奥行きが失われ、どこにいても外から見えてしまう、素通しの構造の家が増えています。昔の民家のように庇の深い家は少なくなり、加えて障子や白壁も見あたらなくなれば、少々寂しい気もします。例えば縁側は年寄りにとっては安全で、しかも快適な場所だったのですが、そういう縁側が新しい家から無くなったという事は、いくらモダン・リビングでも、年寄りにとっては、不便で、味気ないものです。要するに日がな一日過ごす場所が無くなってしまうということで、お年寄りばかりでなく時には暇な家主にとってもこれは問題です。


     誰でも「住みかのイメージはこうありたい」と、思い描くのは自由気ままで面白いのですが、先立つものも必要です。それは資金です。家を建てるには金が要る。資金があれば、すぐにも建てたいという普請道楽のような人もいますが、これは、誰にでも真似の出来る事ではありません。少ない予算で希望いっぱい建てる、これが一般的ではないでしょうか。住みかづくりの落とし穴は、いっぱいあります。少しでも知識があれば、蓄積された家族全員の知恵を総動員して、絶対に失敗しないように、この大きな事業に取り組みたいものです。家づくりという大きな夢。その夢を実現させる為にはさまざまなハードルがありますが、理想に近づけるための目標をいつも持ち続けることです。家の完成までにはその建築を取り巻く多くの人間の存在、また資金の事や敷地等の問題、それに法規などがあり、それらが微妙にからまって、一筋縄ではゆきません。敷地が決まり、設計図が出来ればあとは何とかなると思いがちですが、まだまだ先があります。


     密度の濃い設計図は勿論必要ですが、その後の監理こそが、最も重要です。設計監理者のいない工事は、工務店任せになり、設計図とはかなり違ったものになってしまいます。理想の家の実現には工事に目を届かせる、違った角度の目が必要です。一つは建主、一つは設計者、そしてもう一つは工務店の現場管理者の目です。更には、実際に物を作る職人達の熟練した、多くの目があってこそ夢が叶えられる。「いつも場を見ている事」これが肝心です。建築を完成度の高いものに昇華させていくには、設計者もまた図面内容を正確に伝達する為、あらゆる努力を惜しまず、そして理想のイメージを描き続けることです。また大衆社会に受け入れられる為には、飛び抜けて独善に陥ることなく、自分のスタイルを保持しつつ、あるいは町並みの景観を考え、建物の所在する地域社会の伝統建築との融和や、自然環境との調和という目を持ちつつ、普遍性という目も兼ね備えていなければ、多くの支持は得られません。建主の意見をよく聞きながら、自分のスタイルの中に一つずつ組み入れていけば、建物が社会性を持つことにも繋がっていきます。


     それから、工事にたずさわる人達と心を通わせる。これが建築の「出来」に影響を及ぼすのは周知のことです。職人は、納得出来る良い仕事がしたいと考えています。疑問点を解消するよう会話を交わすことが、彼らの心の緊張を解きほぐし、忘れていた技を思い出すきっかけになるのです。いい仕事をすれば満足するのが職人の心。職人は時には気まぐれですが、やる気にならせるよう、導くことも大切。設計者の接し方によっては、彼らの気質が引き出され、プラス志向の技が生きてきます。場合によっては、その技が図面のレベルを超越します。難しいことを言って煙たがられるのではなく、職人の意見を聞く耳を持っているかどうか。設計者は「つくる人」を大事にし、皆の息を合わせることに努めなくてはなりません。そうすれば丁寧で美しいものが出来る。監理の中でこそ、こうしたコミュニケーションが必要です。


     また設計者は、コンクリート、材木を始め全ての使用材料に精通している必要があります。そしてその材料をいかに「料理」するかはその人の力量に負う所が大きく、建物を美しく見せるのに深く影響します。また建築基準法などの法律に詳しく、役所との交渉、確認申請の提出、基本的な施工図の作製などの他、工務店への説明、指示、資金の流れをチェックしたり、支払いを促すという、建主と工務店の間の仲立ちのような業務を遂行することが求められます。こうした役割を全てこなせるだけの総合的な力量次第で建物の出来は左右されるのです。設計者は、設計図通りに工事が運んでいるかを見極めるばかりでなく、建主と工務店の良好な関係維持が、どのように図られているかに、常に気を配ることです。建物が出来上がるまでには、材質や色具合など決める事も多く、天候不良や不足気味の職人などの人員確保の為に、工事が思うように進まなかったりする場合もあり、紆余曲折が伴います。しかしながら、少しでも住処づくりをスムーズに進める為に、設計者は決して労を惜しまない筈です。


     さて、この本のそれぞれの章には冒頭文に続き、著者の実体験に基づいたレポートが述べられています。レポートにある建築場所や名前、内容の一部などはフィクションですが、それぞれのケースでの現場の様子が伝えられています。


     第一章では設計者不在の落とし穴というテーマで、設計の後の監理の大切さについて述べています。設計監理者が不在では、満足な工事は期待出来ないばかりか、手抜き工事による家屋の損壊などが心配されます。そして予想外の出費を余儀なくされます。工務店にとって設計者不在は「思う壺」。これほど都合の良い、やり易いことはないのです。建主の知らない内に予期しない建築にすり替わってしまいます。工務店にだまされた、信じ込んだのが間違いだったというミスのない様、設計者と設計監理契約を取り交わすのが建主を守る安全策です。契約がなされれば、設計図面は必ず生かされるのです。


     第二章は建主のこだわりと迷いについての話です。工事開始後の大きな変更は禁物で、建主のこういう「こだわり」は時に思わぬ混乱を招きます。設計計画には十分時間をかけ、また、工事着工後は、第三者の意見に翻弄され迷わされないよう、建主は契約書に記載された内容を重んじて戴きたいもの。計画の段階では、何回も設計者に会っている内に、もやもやしたものが次第に形をなし、その形が納得出来るものであり、時間を経ても不変のものと確信出来た時、それはまさしく実現に一歩近づいていくのです。設計者とのやりとりは、朝靄が日差しの強まりとともに、うっすらと透明感を増し、次第に海や山の姿がはっきりと現れるようなものです。 


     第三章では、誰に依頼するかという事です。工務店には技の善し悪し、総合力の違いがあるので、必ず事前に調査をし、また契約内容などについては、よく検討する必要があります。工事着工後しばらくしてから、やむなく監理者が入っても、なかなかうまくいくものではありません。また建主は誰かという視点では、設計者として資金を握る人の意見に注意を払うべきですが、実際に使う住み手の意見にも耳を傾ける必要があります。両者の調整役が設計者に求められます。建主は夫婦であったり、高齢者であったり、その他いろいろな人達なのですから。


     第四章では建主と設計者という関係において、設計者はどのような位置を占めるのかという内容です。設計者は自分にとっての良き理解者になり得るし、心強いもので、時には苦言を呈し煙たがれることもあります。しかし、無駄な労力、経費をかけない為にも、特に守るべき法規や隣人との関係の維持に関する提言には、耳を傾けてみる必要があります。この章の言わんとしているのは、設計者を大いに活用するべきだということで、親しい間柄になればそれだけ設計者の心が入り、黙っていても建主の為に気を遣い、事を運んでくれる筈だという事です。また友人のような関係になれば、建主が何を考え、どうしようとしているかを端的に素早く設計図や現場という「画面」に表現出来るのです。


     第五章では、高齢者の住む家(介護の必要な老人の家)について述べています。高齢者を一人で住まわせるのは、遠方に住む家族にとってたいそう不安です。しかし、年はとっても永らく住み慣れた住みかに留まりたい、という老人の意志も尊重しなくてはならない。しかし、これにも限界があります。終の住みかは何時までも自宅という訳にもいかず、自分の意志とは裏腹に病院であったり、介護施設であったりと変わりゆくものなのです。


     第六、七、八章は家の敷地条件や隣近所、それに自然との関わりについて述べています。


     第六章では敷地の条件が良好でなくても、それを克服すれば、いい住みかが出来るという例です。K邸の場合は土や石を生かすことでした。またIビルのような軟弱地盤の場合でも、これを乗り越え、理想の住みかを実現させた時には醍醐味があります。敷地が斜面の場合では、高い目線の展望を持つ家が得られ、軟弱地盤の敷地でも、これを強固にする方法があります。 


     第七章では隣地との関係について述べています。隣人への心遣いや、役所への届けだけはまめにしておくべきです。仮に作ってしまってからだと、役所の工事完了検査等の時にややこしい事になります。例えば道路をほじくったり、側溝に蓋をする工事などには細心の注意が肝心。道路や擁壁を所有する自治体も含め、いろいろな隣人とは先の長いつきあいになり、最初が大切です。


     第八章では、自然とのつきあいについて述べています。O邸では、自然界の虫たちとのつきあい、防御の方法、自然素材の使い方に触れながら、有害建材を使わないを薦めています。M邸の家族には、最初の横浜、そして移り住んだ寒冷地の住みかを通し、様々な体験があります。森や林、寒さや暑さ、動物や虫などの生態との、こうした共存もまた楽しい筈です。ただし、とうてい共存できない場合もあります。設計者の知恵は、自然との営みの中でもまた長年の経験によって生きてきます。


     第九章では、住みかづくりが首尾良く成功した話です。モデルになっているTさん家族は、それぞれの結びつきが強く、素晴らしいコミュニケーションを持っています。それ故、理想の家に近づける事が出来たのです。このようなケースは恵まれていますが、職人の仕事を尊敬しつつつきあえば、いい仕事、いい結果が必ず生まれます。建主、設計者、職人が暖かい眼差しで語り合うことで、人間同士のわだかまりも無くなり、予期したものよりずっと満足できる住みかになる事があります。

     第一章から第九章までのさまざまな劇場(ケース)に登場する主人公(建主)達は、それぞれに新たな住みかとともに歩みを始める訳ですが、人の心と共に時をはぐくむ理想の住みかを作るには、何よりもまず、設計者を信頼し設計監理契約を、また工務店とは工事請負契約を結び、これらの契約をもとにコミュニケーションを取り、心を通わせる事です。こうした実体験に基づいたやレポート、専門的な分かりやすい解説を読むうちに、きっと増改築のし易い在来工法への理解が深まり、住みかづくりの知識が蓄積されると思います。また建主のコメントや設計者への一問一答形式のインタビューも参考となり、本書が必ず建築づくりに役立つことを確信します。本書は、これから住みかを作りたいとお考えの人達にとって、より良いヒントになるに相違ありません。現在を、未来をどう暮らしていくか、それをイメージしながら、読み進めて戴ければと思います。


     さて、このレポートの中には話し言葉が出てきます。私は日本のそれぞれの地方の話し言葉(方言)は文化そのものだと思います。あえて方言を使ったのは、地方の建築文化を支える熟練した職人が日常使う、身に付いた言葉を尊重し、紹介し、そしてこうした味のある方言を滅ぼしてはならないと思うからです。いわば現在の職人達の持つ、在来の伝統的な技術の尊重が、延長線上にあり、これらが文化という共通性を持っていると考えられるからです。お国言葉を使う職人の多くは、地味で寡黙で、負うこともなく、ひっそりとその地域に溶け込み、人々にとっての「住みかの文化」をずっと今まで支えて来てくれました。だからこそ、これからもこういう技術を伝え残して欲しいものです。


     作家の中野重治は、「国語と方言」という短文のなかで、方言が滅ぼされてゆく現実を憂い、「意味の曖昧でない日本語、みずみずしく豊かな日本語、それを私は求めている。方言とか訛りとかいうけれども、それは生きている、現に生きて働いている。これをこそ尊重しなければならぬでしょう。」と言います。さらに「詩とか文学とかいうものは、人間そのものの表現なのですから、これの滅びるのは人間そのものの滅びる道に繋がります。方言としてレッテルを貼られて排斥されている正当な日本語を顧みる必要がある。」と言っています。


     中野氏のここで述べる文章の中で、「詩とか文学=職人芸」に、「方言=古くさいもの」に、さらに「日本語=建築文化」と置き換えたとしたら、如何でしょうか。なんだか職人技術をないがしろにしてきた今の日本の行く末が垣間見えるようです。例えば方言をないがしろにするという事は、日本列島を単一で深みのない言葉の国に統一するようなことになってしまいます。さらにこのことは、住宅市場の過ぎたる画一化、輸入住宅の浸透が職人達の技術を奪い、古来からの個性豊かな建築文化をも失い兼ねないような、日本の現実に酷似していることなのです。外来工法と伝統技術をいかに融合、発展させるかは将来の大きな課題です。


     ここでは職人達が使う生きた言葉が、彼らの住まうそれぞれの地域で、歴史と共に生き抜いてきた「在来の芸」を支えているのだという、認識を持って戴ければ幸いです。そしてまた、建主や設計者達も職人達との関わりの中で、その地方と共に生き、そして理想の「住みか」を追い求めて戴きたいものです。このレポート取材にあたり出逢った、建主の方々、それに各地の設計事務所、工務店、方言指導やアドバイスをしていただいた皆様には、たいへんな御協力を頂きありがとうございました。尚、本文に記載された事柄が決して誹謗、中傷をするものでない事をここに申し上げておきたいと思います。

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