著書 「住みかのヒント」

ご挨拶

「この度、『住みかのヒント』という本を出版いたしました。出版にあたってこの数年間、皆様には多大なる御協力を戴き、深く感謝申し上げます。有り難うございました。皆様には、在来工法で住みかを建設する前に、是非ご愛読戴きたいと思います。こちらでは最初の冒頭部分のみをご紹介させていただきます。


設計者からのメッセージより...

 はじめに


 住みかは美しく作りたい、そして住みやすく居心地の良い家にしたい。それに長持ちする丈夫なのがいい。自分の住みかなんだから他にはない独自の個性も欲しいし、手作りで体にやさしいのもいい・・。家は自分の城。子どもの頃、地面に穴を掘って屋根をつけて自分の縄張りだと言って友達との境を作ってみたり、またある時は木の枝の上に切れ端の板で見晴らし台をつくったりして「自分の陣地」と称して得意になっていたし、梯子も自前で作ったのです。どこで材料を「仕入れたか」は不明で、当時はまだ農耕用の馬や牛が石ころだらけの狭い道で幅を利かせていた時代ですから、大八車から落っこちて道ばたに転がっているような板で十分間に合ったのです。


 そういえば私が育った信州は雪も降り、冬になると「かまくら」という雪の洞穴のような住みかをよく作りました。スコップで背丈より高い位まで雪を積み上げ、夜には水を撒いてぱんぱんたたいて固め、人がかがんで入れるようにくり抜くのです。中に入ると結構暖かくて、蝋燭を灯し、炭のコンロで餅などを焼いて家族と共に楽しみましたが、これは子どもの頃の遊び心の仮の住みかとしてたいそう懐かしく思い出されます。また土蔵の前の曲がった梁にブランコを吊ってもらい、その梁がギイギイ擦れる音を楽しんだり、五月の節句の幟(のぼり)を立ててもらって、大空の鯉幟が澄み切った白い初夏の光の中で、悠々と泳ぐのを見上げていたり(これは紙で出来ていたので、すぐにどこかへ飛んでいってしまった。)していた当時の事が、それ以後一度もそういう新鮮な感激を抱いた事が無いので、よりいっそう、鮮明に記憶しています。こういう子どものころの夢の様な深い心象風景は忘れ難いものです。この風景はいつも背景の建物と一体となった記憶で、古びた漆喰の壁や黒いコールタールの屋根や、すけすけで向こうが見える、風雪で灰色がかった捻れ曲がった板塀の存在がなくては語れないものです。


 ロシアの文豪トルストイは、「アンナ・カレーニナ」の冒頭で、「幸福な家の顔はまず一色だが、不幸な家の顔は家によりまちまちである。」といいます。幸福な家にはあかりが灯り家族の笑い声が絶えないでしょうが、いつも人のいない家はなにか陰鬱で、空虚です。家がなくなるということは、一家が離散する事でもあります。家という物が、家族にどんな役割を果たしていたか、これは家が家族の絆にとって欠かせないものだということです。これは、地に這う虫も、空とぶ鳥も、生き物である限り、自らの住処に関心を持たぬものは無いということで、住処とは生命の前提、生活の土台です。さてその住みかのイメージとはどんなものでしょう。こんな大きさ、こんな色、そして雰囲気とは・・。


 落語家の古今亭志ん生は、「なつかしのなめくじ長屋」の中で、「醤油を切らしたといえば、隣が貸してくれる。となりが魚のアラを買ってくると、こっちから大根を出して煮て、そいつをわけ合って食べるってえ具合で、お互いに都合しあって暮らしている。」と述べています。長屋住いも良いもので、人情が細やかで助け合いの精神が生きているのですが、かえってこれは鬱陶しいと思う人もいるでしょう。ただ、困ったときはお互い気心が知れているので、とても有り難い。


 戦前の家に比べて、最近の家屋は暗がりが少なくなった様で、家の中が明るくなった代わりに、奥行きが失われ、どこにいても外から見えてしまう、素通しの構造の家が増えています。昔の民家のように庇の深い家は少なくなり、加えて障子や白壁も見あたらなくなれば、少々寂しい気もします。例えば縁側は年寄りにとっては安全で、しかも快適な場所だったのですが、そういう縁側が新しい家から無くなったという事は、いくらモダン・リビングでも、年寄りにとっては、不便で、味気ないものです。要するに日がな一日過ごす場所が無くなってしまうということで、お年寄りばかりでなく時には暇な家主にとってもこれは問題です。


 誰でも「住みかのイメージはこうありたい」と、思い描くのは自由気ままで面白いのですが、先立つものも必要です。それは資金です。家を建てるには金が要る。資金があれば、すぐにも建てたいという普請道楽のような人もいますが、これは、誰にでも真似の出来る事ではありません。少ない予算で希望いっぱい建てる、これが一般的ではないでしょうか。住みかづくりの落とし穴は、いっぱいあります。少しでも知識があれば、蓄積された家族全員の知恵を総動員して、絶対に失敗しないように、この大きな事業に取り組みたいものです。家づくりという大きな夢。その夢を実現させる為にはさまざまなハードルがありますが、理想に近づけるための目標をいつも持ち続けることです。家の完成までにはその建築を取り巻く多くの人間の存在、また資金の事や敷地等の問題、それに法規などがあり、それらが微妙にからまって、一筋縄ではゆきません。敷地が決まり、設計図が出来ればあとは何とかなると思いがちですが、まだまだ先があります。


 密度の濃い設計図は勿論必要ですが、その後の監理こそが、最も重要です。設計監理者のいない工事は、工務店任せになり、設計図とはかなり違ったものになってしまいます。理想の家の実現には工事に目を届かせる、違った角度の目が必要です。一つは建主、一つは設計者、そしてもう一つは工務店の現場管理者の目です。更には、実際に物を作る職人達の熟練した、多くの目があってこそ夢が叶えられる。「いつも場を見ている事」これが肝心です。建築を完成度の高いものに昇華させていくには、設計者もまた図面内容を正確に伝達する為、あらゆる努力を惜しまず、そして理想のイメージを描き続けることです。また大衆社会に受け入れられる為には、飛び抜けて独善に陥ることなく、自分のスタイルを保持しつつ、あるいは町並みの景観を考え、建物の所在する地域社会の伝統建築との融和や、自然環境との調和という目を持ちつつ、普遍性という目も兼ね備えていなければ、多くの支持は得られません。建主の意見をよく聞きながら、自分のスタイルの中に一つずつ組み入れていけば、建物が社会性を持つことにも繋がっていきます。


 それから、工事にたずさわる人達と心を通わせる。これが建築の「出来」に影響を及ぼすのは周知のことです。職人は、納得出来る良い仕事がしたいと考えています。疑問点を解消するよう会話を交わすことが、彼らの心の緊張を解きほぐし、忘れていた技を思い出すきっかけになるのです。いい仕事をすれば満足するのが職人の心。職人は時には気まぐれですが、やる気にならせるよう、導くことも大切。設計者の接し方によっては、彼らの気質が引き出され、プラス志向の技が生きてきます。場合によっては、その技が図面のレベルを超越します。難しいことを言って煙たがられるのではなく、職人の意見を聞く耳を持っているかどうか。設計者は「つくる人」を大事にし、皆の息を合わせることに努めなくてはなりません。そうすれば丁寧で美しいものが出来る。監理の中でこそ、こうしたコミュニケーションが必要です。


 また設計者は、コンクリート、材木を始め全ての使用材料に精通している必要があります。そしてその材料をいかに「料理」するかはその人の力量に負う所が大きく、建物を美しく見せるのに深く影響します。また建築基準法などの法律に詳しく、役所との交渉、確認申請の提出、基本的な施工図の作製などの他、工務店への説明、指示、資金の流れをチェックしたり、支払いを促すという、建主と工務店の間の仲立ちのような業務を遂行することが求められます。こうした役割を全てこなせるだけの総合的な力量次第で建物の出来は左右されるのです。設計者は、設計図通りに工事が運んでいるかを見極めるばかりでなく、建主と工務店の良好な関係維持が、どのように図られているかに、常に気を配ることです。建物が出来上がるまでには、材質や色具合など決める事も多く、天候不良や不足気味の職人などの人員確保の為に、工事が思うように進まなかったりする場合もあり、紆余曲折が伴います。しかしながら、少しでも住処づくりをスムーズに進める為に、設計者は決して労を惜しまない筈です。


 さて、この本のそれぞれの章には冒頭文に続き、著者の実体験に基づいたレポートが述べられています。レポートにある建築場所や名前、内容の一部などはフィクションですが、それぞれのケースでの現場の様子が伝えられています。


 第一章では設計者不在の落とし穴というテーマで、設計の後の監理の大切さについて述べています。設計監理者が不在では、満足な工事は期待出来ないばかりか、手抜き工事による家屋の損壊などが心配されます。そして予想外の出費を余儀なくされます。工務店にとって設計者不在は「思う壺」。これほど都合の良い、やり易いことはないのです。建主の知らない内に予期しない建築にすり替わってしまいます。工務店にだまされた、信じ込んだのが間違いだったというミスのない様、設計者と設計監理契約を取り交わすのが建主を守る安全策です。契約がなされれば、設計図面は必ず生かされるのです。


 第二章は建主のこだわりと迷いについての話です。工事開始後の大きな変更は禁物で、建主のこういう「こだわり」は時に思わぬ混乱を招きます。設計計画には十分時間をかけ、また、工事着工後は、第三者の意見に翻弄され迷わされないよう、建主は契約書に記載された内容を重んじて戴きたいもの。計画の段階では、何回も設計者に会っている内に、もやもやしたものが次第に形をなし、その形が納得出来るものであり、時間を経ても不変のものと確信出来た時、それはまさしく実現に一歩近づいていくのです。設計者とのやりとりは、朝靄が日差しの強まりとともに、うっすらと透明感を増し、次第に海や山の姿がはっきりと現れるようなものです。 


 第三章では、誰に依頼するかという事です。工務店には技の善し悪し、総合力の違いがあるので、必ず事前に調査をし、また契約内容などについては、よく検討する必要があります。工事着工後しばらくしてから、やむなく監理者が入っても、なかなかうまくいくものではありません。また建主は誰かという視点では、設計者として資金を握る人の意見に注意を払うべきですが、実際に使う住み手の意見にも耳を傾ける必要があります。両者の調整役が設計者に求められます。建主は夫婦であったり、高齢者であったり、その他いろいろな人達なのですから。


 第四章では建主と設計者という関係において、設計者はどのような位置を占めるのかという内容です。設計者は自分にとっての良き理解者になり得るし、心強いもので、時には苦言を呈し煙たがれることもあります。しかし、無駄な労力、経費をかけない為にも、特に守るべき法規や隣人との関係の維持に関する提言には、耳を傾けてみる必要があります。この章の言わんとしているのは、設計者を大いに活用するべきだということで、親しい間柄になればそれだけ設計者の心が入り、黙っていても建主の為に気を遣い、事を運んでくれる筈だという事です。また友人のような関係になれば、建主が何を考え、どうしようとしているかを端的に素早く設計図や現場という「画面」に表現出来るのです。


 第五章では、高齢者の住む家(介護の必要な老人の家)について述べています。高齢者を一人で住まわせるのは、遠方に住む家族にとってたいそう不安です。しかし、年はとっても永らく住み慣れた住みかに留まりたい、という老人の意志も尊重しなくてはならない。しかし、これにも限界があります。終の住みかは何時までも自宅という訳にもいかず、自分の意志とは裏腹に病院であったり、介護施設であったりと変わりゆくものなのです。


 第六、七、八章は家の敷地条件や隣近所、それに自然との関わりについて述べています。


 第六章では敷地の条件が良好でなくても、それを克服すれば、いい住みかが出来るという例です。K邸の場合は土や石を生かすことでした。またIビルのような軟弱地盤の場合でも、これを乗り越え、理想の住みかを実現させた時には醍醐味があります。敷地が斜面の場合では、高い目線の展望を持つ家が得られ、軟弱地盤の敷地でも、これを強固にする方法があります。 


 第七章では隣地との関係について述べています。隣人への心遣いや、役所への届けだけはまめにしておくべきです。仮に作ってしまってからだと、役所の工事完了検査等の時にややこしい事になります。例えば道路をほじくったり、側溝に蓋をする工事などには細心の注意が肝心。道路や擁壁を所有する自治体も含め、いろいろな隣人とは先の長いつきあいになり、最初が大切です。


 第八章では、自然とのつきあいについて述べています。O邸では、自然界の虫たちとのつきあい、防御の方法、自然素材の使い方に触れながら、有害建材を使わないを薦めています。M邸の家族には、最初の横浜、そして移り住んだ寒冷地の住みかを通し、様々な体験があります。森や林、寒さや暑さ、動物や虫などの生態との、こうした共存もまた楽しい筈です。ただし、とうてい共存できない場合もあります。設計者の知恵は、自然との営みの中でもまた長年の経験によって生きてきます。


 第九章では、住みかづくりが首尾良く成功した話です。モデルになっているTさん家族は、それぞれの結びつきが強く、素晴らしいコミュニケーションを持っています。それ故、理想の家に近づける事が出来たのです。このようなケースは恵まれていますが、職人の仕事を尊敬しつつつきあえば、いい仕事、いい結果が必ず生まれます。建主、設計者、職人が暖かい眼差しで語り合うことで、人間同士のわだかまりも無くなり、予期したものよりずっと満足できる住みかになる事があります。

 第一章から第九章までのさまざまな劇場(ケース)に登場する主人公(建主)達は、それぞれに新たな住みかとともに歩みを始める訳ですが、人の心と共に時をはぐくむ理想の住みかを作るには、何よりもまず、設計者を信頼し設計監理契約を、また工務店とは工事請負契約を結び、これらの契約をもとにコミュニケーションを取り、心を通わせる事です。こうした実体験に基づいたやレポート、専門的な分かりやすい解説を読むうちに、きっと増改築のし易い在来工法への理解が深まり、住みかづくりの知識が蓄積されると思います。また建主のコメントや設計者への一問一答形式のインタビューも参考となり、本書が必ず建築づくりに役立つことを確信します。本書は、これから住みかを作りたいとお考えの人達にとって、より良いヒントになるに相違ありません。現在を、未来をどう暮らしていくか、それをイメージしながら、読み進めて戴ければと思います。


 さて、このレポートの中には話し言葉が出てきます。私は日本のそれぞれの地方の話し言葉(方言)は文化そのものだと思います。あえて方言を使ったのは、地方の建築文化を支える熟練した職人が日常使う、身に付いた言葉を尊重し、紹介し、そしてこうした味のある方言を滅ぼしてはならないと思うからです。いわば現在の職人達の持つ、在来の伝統的な技術の尊重が、延長線上にあり、これらが文化という共通性を持っていると考えられるからです。お国言葉を使う職人の多くは、地味で寡黙で、負うこともなく、ひっそりとその地域に溶け込み、人々にとっての「住みかの文化」をずっと今まで支えて来てくれました。だからこそ、これからもこういう技術を伝え残して欲しいものです。


 作家の中野重治は、「国語と方言」という短文のなかで、方言が滅ぼされてゆく現実を憂い、「意味の曖昧でない日本語、みずみずしく豊かな日本語、それを私は求めている。方言とか訛りとかいうけれども、それは生きている、現に生きて働いている。これをこそ尊重しなければならぬでしょう。」と言います。さらに「詩とか文学とかいうものは、人間そのものの表現なのですから、これの滅びるのは人間そのものの滅びる道に繋がります。方言としてレッテルを貼られて排斥されている正当な日本語を顧みる必要がある。」と言っています。


 中野氏のここで述べる文章の中で、「詩とか文学=職人芸」に、「方言=古くさいもの」に、さらに「日本語=建築文化」と置き換えたとしたら、如何でしょうか。なんだか職人技術をないがしろにしてきた今の日本の行く末が垣間見えるようです。例えば方言をないがしろにするという事は、日本列島を単一で深みのない言葉の国に統一するようなことになってしまいます。さらにこのことは、住宅市場の過ぎたる画一化、輸入住宅の浸透が職人達の技術を奪い、古来からの個性豊かな建築文化をも失い兼ねないような、日本の現実に酷似していることなのです。外来工法と伝統技術をいかに融合、発展させるかは将来の大きな課題です。


 ここでは職人達が使う生きた言葉が、彼らの住まうそれぞれの地域で、歴史と共に生き抜いてきた「在来の芸」を支えているのだという、認識を持って戴ければ幸いです。そしてまた、建主や設計者達も職人達との関わりの中で、その地方と共に生き、そして理想の「住みか」を追い求めて戴きたいものです。このレポート取材にあたり出逢った、建主の方々、それに各地の設計事務所、工務店、方言指導やアドバイスをしていただいた皆様には、たいへんな御協力を頂きありがとうございました。尚、本文に記載された事柄が決して誹謗、中傷をするものでない事をここに申し上げておきたいと思います。

 

検索


カレンダー

2012年02月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      
BPRO
Powered by
Movable Type 3.34

Produced by. B'PRO Corporation