2009年07月 アーカイブ

2009年07月06日


村野藤吾氏の八ヶ岳美術館と友人


昨日の土曜日は、大学の友人と30数年ぶりに会って、
酒を酌み交わしました。
私が誘った次第。

大学時代にそう親しかった訳でもなく、彼とは授業が
同じだったくらいですが、諏訪の建設会社に数十年
奉職してきただけあって、山のようなおもしろいエピソードを
聞き漏らさず胃に収めることが出来ました。

建築家・村野藤吾先生の作品、八ヶ岳美術館に関わった監督
としては、現在では彼がその会社では唯一の証人だそうです。

村野さんは当時、そうとうな高齢でいらっしゃったので
、スケッチを戴いても殆ど解読不能だし、言葉もうまく聞き取れず
彼なりに難儀したようです。

しかし、かの美術館に関わり、施工を担当した誇りを持つということは、
羨ましくも感じられ、村野先生を尊敬する私としては生きた言葉を
いただいたという次第です。

フランスの彫刻家・ブールデルを師とする清水多嘉示の彫刻
を展示する、八ヶ岳美術館の丸いドームを連続させる美術館の設計は、
いかんせん工事に「逃げの部分」がなかったようで、こちらを押せば
あちらがずれるというアンバイだったとか。

彼は、ベニヤで仮の天井を作って、そこに下側から墨を出し、施工
精度を上げたようです。

この続きはまたの機会に・・・


2009年07月08日


人類とは..


アメリカのマクナマラ元国防長官がなくなった。
あのベトナム戦争を主導した人物である。

20世紀においては、あらゆる人類間の抗争、殺戮により
1億6000万人の命が失われたという。

これは、計り知れない膨大な数だ。

先頃のパチンコ店の放火でも尊い命が失われた
が、戦争などの場合に限って言えば、過ちは集団心理による
過剰な高揚意識によってもたらされる場合が多いのだという。

いずれにしろ、21世紀は平和な世の中であって
欲しいものである。

2009年07月13日


草取りはかくも重労働・・


梅雨の時期なので、草が伸びるのが早い。

1ヶ月前に刈ったばかりですが、雨で伸びるわ、伸びるわ・・
今日は午前中、雨が降らないみたいだから、畑の
奥から始めてみるとしようか・・

畑は無料で近所のおじいさん、おばあさん達に貸し
ている。
お陰で、耕作してもらっている所は草が生えな
い(耕作地だから草刈りもお任せ)ので、救われて
いるという具合。

2009年07月17日


雷はこわい


今日の明け方の雷はすごかったです。

夜中の豪雨や近距離の落雷は肝をひやしますね。

天気図を見たら、これが何と低気圧と梅雨前線の
オンパレードで・・

建築設計をやってるから、どこかの家で漏れて
ないかと心配で・・・

いくら念には念を入れて設計しても、施工が
曖昧だと不安が残るのですが、いつも2重、3重の
防御を考えなくてはいけません・・・

2009年07月18日


山は恐いが、建築も装備は十分に・・・


北海道の夏山で10人が亡くなったという。

夏山でも、本州の山と北海道の山では、寒さが
比較にならないから、こういうことになる?

勝手な推察ながら、たとえ、標高が低くても、北海道
の方が緯度が高いわけだから、その分、気温が低く
なり、さらに強風下では相当に危険な状況になるとい
うことでしょう。

最近の高齢者の登山熱も分からないではないですが、
かような軽装備で、悪天候の中、そして長い岩場を歩く
となれば、誰が考えても、そこに遭難の影がちらつくの
ではないでしょうか。


建築も又、装備不十分では遭難しかねないのでは・・

この事件は、見方を変えれば、建築にあってもまた、
十分な予算を備え、あらゆる装備を施すに越したことは
ない、事前に十分な準備を・・
という警鐘にも捉えられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2009年07月24日


私の小説から・・


ある小説集より。


「頑張れ!セルフビルダー」からの抜粋

 熊田猛は、今は還暦を過ぎて久しく、体力の衰えは隠しようもない。だが、若い頃は、はち切れんばかりのエネルギーを持てあまし、時に勇猛活発、やる気満々だった。
 私は、学生時代に熊田に会うまで「自前流儀で建築を作る喜び」など考えたことも無かった。何故なら、こういう事が出来る人間は、さぞや特殊技能の持ち主か奇人変人の類だろうと、恥ずかしながら勝手な想像をしていたからだ。
 ところが、あに図らんや、あれから数十年経った今では、セルフビルダーに与えられる技術は、工具の発達や普及、インターネット情報、バックアップ会社の登場などで、格段の向上を遂げるとともに、広く市民権を得るに至り、さらなる普及をもたらしている。
 最近では、構造がシンプルで、作業もしやすい、2×4(ツーバイフォー)工法に、在来工法を組み込んだ工法をバックアップする会社が、ブームを呼びそうな勢い。こういう会社は、建築家や建材メーカー、商社や工事を請け負う工務店、大工チームなどをコーディネートして、建主のセルフビルドのサポートをするのである。いやはや、世の中、かわったものである。
 とまれ、「出来るセルフビルダー」ほど妙に楽しそうだ、というのは不思議な感覚。そう感ずるのは、私だけでは無いと思うのだが・・・やっている側のひたむきさ加減はさておき、こちらには気ままな遊び感覚と映る。まるで戦国時代の武将が城を築き、自分の陣地を増やしているようなアンバイだ・・・
 だからという訳でもなかろうが、こういう風景を眺めていると、自分も手を動かしてやってみたいなどという欲望が、どこからとも無く湧いてくるから、これまた何とも不思議なモノである。
   

2009年07月25日


私の小説から~


 ある小説集より。


「頑張れ!セルフビルダー」からの抜粋


 髭の男・熊田猛は、様々な商売に明け暮れ、ブローカーのような顔を持っていた。
中でも建築には人一倍こだわりがあり、他人に頼らず自前で建築を作ることに希望を感じていた。彼は、市民にドンドン活用してもらえる器を提供したいと考えていたのであるが、具体的にはレストランや喫茶店やテナントビル、あるいはアパートなんかを対象とした。つまり、都内の各地に親譲りの土地を所有していたから、これを生かしたいと思っていたのである。
 熊田は、都内の某建築専門学校で実践的な建築技術を学んだあと、アメリカのテキサスで数年間にわたって大工の見習いをし、ツーバイフォーによるパネル工法を習得して来た。 だが、まだまだ実践の浅い自分の技術は、たぶんに熟練の域に届いていないということは十分わきまえていた。セルフビルダーには、いつまでもこういう鳥瞰的な自覚と自制の精神が必要だが・・・
 たしか熊田は、当時の自分のことをセルフビルダーと称していたが、言い回しを変えれば、『自前精神に乗っ取っている、建築屋の端くれ』であったとでもいった方が、読者の皆さんには、わかりやすいかもしれない。
 彼は、連れ合いの美代子との二人暮らしで、住んでいたのは空港に近いJRの駅前。彼の事務所と加工場は都心にあり、そこは幹線道路に面し、地下鉄駅にも近いので、国の内外の仕事をこなすには便利な場所であった。

2009年07月27日


住宅成功への道・・・住みかのヒントをお読み下さい


昨日、私の著作の「住みかのヒント」(東京図書出版会)を長野県内の
図書館に贈呈してきました。

まだ読まれて無い方は、これを機会に是非お読み下さい。

住宅や建築を作る為には、建築の知識を豊富にストックさせることが
肝要です。

また、知らなかったという理由によるトラブルを無くすために、この本
を読めば必ずやそれが叶えられるでしょうし、しかも大きな自信が付く
はずです。

家は出来合いを買う物ではなく、専門の設計事務所に頼んで戴く
ことで、小さな希望が組み込まれ、それが集まった自由な設計が可能
なのです。
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「住みかのヒント」新所蔵図書館リスト:
飯田市立図書館、飯田市上郷図書館、下伊那郡高森町図書館、
駒ヶ根市立図書館、伊那市立図書館、長野県立図書館(長野市)
長野市立図書館


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「住みかのヒント」所蔵図書館リスト(全国の一部のみの図書館):
東京世田谷区立図書館、岡谷市立図書館、下諏訪町立図書館
辰野町立図書館、諏訪市立図書館、茅野市立図書館他


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私の小説より~抜粋

当時、熊田の住むJR池袋の駅前を歩けば、成る程、ここら辺りには、未だに高さを抑えられた、てんでバラバラなゴチャゴチャした商業建築物(雑居ビル)が連なっていたし、さらに、その先の繁華街を抜けたあたりに歩を進めると、こちらは、年々高層化が進んでいて、外壁を全て曇りガラスにしたような、モダーンな建物が出来つつあった。
 私は、学生時代は東京に暮らした。それから十数年ほどで出雲の役所勤めを切り上げ、東京に戻ってからも、魅力が尽きない新宿に吸い寄せられた。考えてみれば、学生時代以来、旅行好きで世界中を歩き回っている熊田とは、ずっと付き合ってきたような気がする。足かけ四十年来のつきあいということになろう。

2009年07月28日


私の小説から~


ある小説集より。


「頑張れ!セルフビルダー」からの抜粋

・・・・・・・そもそも、熊田を知ったのは、私が貧乏学生だった頃、新宿歌舞伎町のゴールデン街にある、「ダークホース」という、小さなスナック酒場にあてどもなくフラッと立ち寄ったからである。最初に出会ったときの彼は、弟子と称する、二人のプロレスラーのような髭面の大男を従えて飲んでいた。
 彼は、酒で顔を真っ赤にさせながら、そこでいきなり、「建築は、やってみなくちゃあわからんが、自分を信ずれば思わぬ発見がある・・・体を使うほど頭の機転が利くようになるし、物を大事にするようになるもんだ・・・なあ、そうだろう・・・・」とばかりに、酒がまわって機嫌のいい二人の山のような男達を促しては、私の顔に向かってビュンビュンと唾を飛ばしたのである。
 私は熊田に対して、最初のうちこそ、いつもへべれけでなにやら胡散臭い、眉間じわの目立つ男だと思って余り信用していなかった。いかんせん当時は学生の身の上だから、いままで見たことのない人間達には警戒せざるを得なかったのだ。
 だが、幾度となくこの熊田トリオにハシゴ酒に誘われたり、彼の事務所のまわりに散らばる、彼が関わった幾つかの低層の建物を見学させてもらう裡、しだい次第に私の熊田に対する見方が変わっていった。良く聞けば言うこともまんざらじゃないし、気が利かないようでいて、まわりにもちゃあんと配慮してるじゃあないかと思うようになったからである。
 そんな訳で、最初の疑わしいイメージが薄れるとともに、そのうち熊田と親しく言葉を交わすようになった。・・・・・・・・つづく

2009年07月30日


住宅の設計は建築設計事務所に


最近では、メーカーの展示場に足を運ばれる
方が多いと思います。

メーカーの家は、早く、安くがうたい文句のようですが、

メーカーの家は、その殆どが数あるタイプからの選択
になっています。ですから、細かいニーズに対応しき
れないのが実情のようです。(オプションなどが多いのです。)

ところが、私達建築設計事務所は、お客様のご希望
に応えるよう、最大の情報をご提供することにより、
背中にも手の届くような、自由な設計を推進するが
モットーで、それが可能です。

よりよい住宅を手に入れるには、やはりしっかりした
建築設計事務所の作製した設計図を用意し、それに
基づいた工事を工務店(建設会社)依頼するのが
無難です。

見積をつくってもらい、設計事務所との契約書、工務店
との工事契約書を用意し、工事監理を設計者に依頼
して工事を完成に導くのが何より安心です。

建築設計事務所は、建築を作りたい方々皆様の応援
を心から望んでいます。


住宅設計は建築設計事務所に


私の著作の「住みかのヒント」(東京図書出版会)を長野県・伊那市
高遠町の図書館に贈呈しました。

まだ読まれて無い方は、これを機会に是非お読み下さい。

住宅や建築を作る為には、建築の知識を豊富にストックさせることが
肝要です。

また、知らなかったという理由によるトラブルを無くすために、この本
を読めば必ずやそれが叶えられるでしょうし、しかも大きな自信が付く
はずです。

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