2009年08月 アーカイブ

2009年08月02日


信州の建築家・ノート


建築は、完成してからのメンテナンスと日頃の管理、対応が
たいせつです。

どんなことでも、対応が遅れると、いずれはおおきな出費を強
いられる事になります。

それには、設計者との協力が大事で、工務店(建設会社)に
も協力していただき、できれば、問題時にはこまめに対応でき
るように心がけましょう。(完成してからのこうした経費も必要で
す。)

今年の4月1日からは、引き渡される新築住宅には、消費者
保護のために1棟につき2.000万円の供託金かそれに代
わる保険に加入する義務が建設会社に義務付けられました。


これからはますます、設計事務所が、建設会社が、あるいは、
建主の皆さんが信用保証の保険や建物の長期保険などに入
ることが重要になってくるでしょう。

建物は、あなたの財産です。

   私の小説・・・・・・
   頑張れ!セルフビルダーより~

 ここまでは問題ないのだが、熊田はうっかり、肝心のビルのテナントについて考えるのが遅すぎた。熊田は、工事が始まると、自分の世界に埋没するようなところがあって、工事を始めてから暫くして、ようやく新聞広告などでテナントの募集をした。
 だが、ここで広告に手間取ったせいか、入居者がなかなか見つからず、建物が完成したものの、それからずるずると半年が経ってしまった。建物は使用しないと直ぐに老朽化する。特に、設備のボイラーや給排水設備、エアコンは機能が低下し、窓を締め切っていたりすると、空気が流れないから湿気やカビで建物が傷む。「このまま空きビルにしてたらまずい!他に何か考えなくちゃあ・・・そうだ!まてよ!これはいいチャンスかもしれない、それならいっそ、ここいら辺にない誰も思いつかないような面白い店でもやってみるか!」熊田は、そう思った訳である。
 熊田は、あれこれ思案を巡らしているうちに、テキサスの工場で作っているガラス瓶を店内のケースに並べたり、アメリカの小物類を売るインテリアショップを思いついた。だが、こういう品揃えの店だけでは、思うように客は呼べないことを承知していたので、このショップとジョイントで、分厚いステーキをメインディッシュに盛り立てた、カナディアンレストランを始める事にした。

2009年08月04日


信州の建築家・私の小説より~


ある小説集より。


「頑張れ!セルフビルダー」からの抜粋

 出納係の美代子の同意も取り付けたことだし、これなら客は来るに違いないと思った。
 しかし、この建物はテナント用に作られた無味乾燥なものなので、インテリアショップやレストランに衣替えするには、それなりの備えというものが必要だった。
 仮にレストランを始めるとすれば、それにはまず、冷暖房の設備を整えたり、営業用のキッチンを作ったり、サービスカウンターやテーブル、椅子などを用意しなければならない。それに、こういう設備を整えるには相当の時間がかかる。
 そう考えた熊田は、気がつけば建物の完了届けを役所に提出していなかった。
これは、獅子山の指摘によって発覚したものだった。彼は、ここではひとまず獅子山に頼んで、貸事務所としての届け出をしておくのが賢明だと思った。 
 というのも、熊田は建物をどういう風にやり直すべきなのか、厨房や客室の細部にわたる見当が容易につかなかったからだ。
 建物が完成しても目的が違っていたのでは、建物を使用出来なくなる事があるから、当面の手法として、工事が完了したという手はずにしておく。書類さえ出しておけば、後は変更工事ということでやっていけるだろう、熊田はそう思った。
 この完了届を受け取った役所の建築課の役人は、数日後、建築法規などのチェックをするために熊田ビルを訪れ、建物をなめるように見て回った後日「検査済証」というものを発行した。
 検査済証さえあればいつでも建物は使える。
それを見計らって、熊田は、レストランに改装するために、建物の間仕切りを取り払い始めたのだが・・・ちなみに、大規模な改装にも許可が要る。
 彼は、専門業者にも依頼して、幾つかのガラス瓶の販売ボックスを設置し、厨房を作り、レジを設け、照明を取り付け、どうにかレストランの営業ができるように取り計らった。
 しかし、彼は店を開業するのに、これ以上のいろいろな申請や、クリアーすべき法規があることを知らず、そんなものは後でも何とでもなるものと考えていた。


つづく・・・・

2009年08月07日


信州の建築家・ノート


女優の大原麗子さんが亡くなったという。
惜しいと思う。最近見かけないと思っていたが、
本当に残念・・・NHKの大河ドラマを思い出す・・・

私の小説・・・・・・
   頑張れ!セルフビルダーより~

 ある日のこと、違反建築の見回り役人が指導に来た。
そして、「この建物は、いったい何に使うんですか?どう見ても接客の店舗のようですが、こういう建物には、避難口の案内表示と消火器とスプリンクラーと煙感知器が必要ですから、こことここに表示板を表示して、消化器は、こことここに置いて下さい・・・」と場所をさし示して言った。
 「これは、決まりなんですから、店舗の営業前に頼みますよ、いいですか、分かりましたね、消防署も必ず見に来ますから、面倒がらずにやるんですよ。」とさらに念を押したので、熊田はしぶしぶこれに従った。消防署は確かに直ぐに来て、同じような事を言い渡した。
 そして、次に来たのは保健所の職員だった。職員から渡されたのは、開業する前に店の営業許可を取るようにという指導書だった。しかし、その時は、幸いにも書類を提出しただけで許可証をもらうことが出来た。
 「まあ、それにしてもよく来るなあ、要はそう簡単に商売させてもらえんってことか、あれもこれも、いちいちうるさいったらありゃしない・・・」と熊田は、こういう煩わしい手続きに戸惑い面倒くさがった。
 この許可を取る前には、既に営業用の大きなステンレスのフードが取り付けられ、インターネットや新聞で店の広告も出した後だったから、レストランは、開業寸前で時間の余裕が無かったのである。


つづく・・・・

2009年08月09日


信州の建築家・ノート



私の小説より~

頑張れ!セルフビルダーより抜粋


 ところが、ヤレヤレと思う間もなく、再び現れた建築の見回り役人からの指摘には困った。

実は、当初の事務所ビルには煮炊きの出来ない流し台の設備しか無かったのだが、その後、ビルの一部をレストランに改装するにあたり、ガスを使う営業用の厨房器具が入ったのだ。

 これによって火災の恐れが高まり、室内に内装制限という枠がはめられたのである。 
 
内装制限では、内部の仕上げを、燃えないものにしなくてはならないのだが、役所としては職務上、そこを見逃さなかったのである。更には室内の換気や厨房から出される煙の排煙の設備なども必要になった。
 役人からは、「あなたの気持は分からないではないんですが、マイペースで気ままにやってないで、よく勉強もして下さいヨ、この国には内装制限なんかの基準ってものがあるんですから、これに従わなくちゃあ店を始められないんですよ、もし設計事務所に知り合いがあるんだったら、そこに相談して、必要な工事が済んだら写真などを沿えてすぐ報告して下さい。」と指摘された。

熊田は、
 「ご指摘はよく分かりましたので、おっしゃるように早いところ改善します。そんなに難しいことがあるなんて、知らなかったものですから。」といったものの、獅子山に建築法令に従うにはどうすればいいのかという相談をして対策を練り、それに応じた改善工事にかかる資金調達などで、数カ月の時間を要してしまった。

 例えば、壁にタイルを貼ったり、天井に不燃ボードを張ったり、防煙の為の天井からのガラスの垂れ壁を設置するなどの準備をしなければならなくなくなった訳である。
 熊田は、こうやって取り繕いが済み役所に報告をした後、暫く考え込んだが、どうやらレストランが殺風景なことに気が付いた。
 「これではインパクトが弱過ぎる!とまれ、客を引きつけるような何かいいアイデアはないものか・・・
そう思ったとたん、あらゆるものがいっぺんに脳裏に去来したような感覚を覚え、すぐにダイナミックな知恵が浮かんだのである。

つづく・・・・
 

2009年08月10日


信州の建築家・ノート


私の小説より~

頑張れ!セルフビルダーより抜粋


 それは、レストラン近くの閉鎖された公園にデンと居座っている、雨ざらしのさび付いた蒸気機関車のデコイチ「たもつくん」を譲り受け、ボロボロになった所を取り除いて、胴体を輪切りにして、看板替わりに建物の正面に取り付ける、という発想であった。

 早速JRから譲ってもらったデコイチの「たもつくん」を、鉄骨工場のカッターで半分にして、錆を落とし、穴の空いた所を補修し、黒いペンキで仕上げて建物に取り付けて見ると、意外なことにあたかもカナディアンレストランという、デッカイ貨車を引っ張る、キャンピングカーのような出で立ちになった。

 少々安定感に欠けるが、デコイチの「たもつくん」のファサードは真っ黒だし、煙突も付いてるし汽笛も鳴らせる。これなら目立つぞ、間違いなく子供は喜ぶだろうし、鉄道マニアにはたまらんだろう、と言わんばかりに、熊田は満足げな表情を見せるのであった。

 熊田は、こだわらず気にせず、行動するというのが持論。何事にたいしても好奇心に溢れ、時々奇想天外で人を驚かすことが好きだ。
 
 こういう人間は、普通のモノサシで計れないのが取り柄だが・・・まあ、そんな訳で、熊田の予想通りデコイチの「たもつくん」は、しっくりとまわりに馴染み、これを見た美代子も、チョットごついけどまあ良いんじゃないの・・・と喜んでくれた。

 その後、数ヶ月の間、幾度となく役所の見回り担当官が指導に訪れた。その度に、デコイチの「たもつくん」が張り付いたガラス瓶のレストラン」の内装や設備の改善に手間どった。

 熊田は、「こうやればああやれで、いちいちめんどうなもんだな、もっと簡単な手続きにしてもらいたいもんだが、そうはいかんモノか。」としきりにこぼした。
 
しかし、係官はデコイチの「たもつくん」のことについては、なにも言わなかった。

 どうしろこうしろと、無理難題を持ちかけるに相違無い、今度もいろいろお灸を据えられるんだろう、と恐々ガクガクしていた彼としては、ようやくにして、ルールという束縛から救われる思いであった。

2009年08月11日


地震には驚いた・・


早朝の地震には驚いた、静岡では震度6だそうだ。

久々の強い揺れだった、私の家は瓦屋根で築90年以上だから
揺れる時は振幅が大きい。

今回も、なにも大事に至らなかったが、それにしてもいままでよく耐えて
きた。(シロアリには手を焼いたが・・・)

耐震補強もしていないし、土壁だし、柱、梁、貫の構造であるが、考えるに
土台が石の上に載っているだけの構造のせいだろうか・・


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写真は我が家の土台: 土台は石の基礎の上にのっているだけで、石とはくっついていない。
アンカーボルトなど無かった90年前の時代だから、こういうアンバイになっている。


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基礎石は御影石で土台は栗材である。床を支える大きな床梁が見えるだろうか。この床梁と
土台が一体になっているのが特徴。

2009年08月12日


信州の建築家・ノート


地震で崩壊した東名高速道路をテレビで見たが、
自然災害の前にこれほどもろいものかと驚いた。

公団では13日までに復旧する、というニュースが流れて
いるが、こんな状態で間に合うのだろうか。

日本の大動脈の不通がお盆と重なってしまう訳だが、こう
いうことがもしや再び起こりうるんではないだろうか・・・・


私の小説より~

頑張れ!セルフビルダーより抜粋

 開放感でふっと胸をなでおろしてみると、なにやら再びモリモリ元気が湧いてくるのを感じた。
 そして、「なあに、何でもやってみることさ、そうすればどうにかなるモンだ、自信を持ってくじけず突き進む・・・これが俺のライフワークだ・・・」と身震いしたのである。

 建築ルールはたしかに面倒で素人には手に負えない。
例えば、床面積を増やした分が建ぺい率オーバーになり、挙げ句に、縮小を余儀なくされることさえある。
 また、勝手に作って営業許可が下りないんでは、建物は出来たが使えず、路頭に迷うことになる。

私は、日頃、ふらふらと都内を歩き回ることが好きなので、あの頃は、単なる興味半分で、ちょくちょく熊田の建築現場を覗いたものだ。
 
 私が訪れると、熊田は、いつも騒々しい重機の操作レバーの手を休めて、よく来たな、と言わんばかりに、嬉しそうに頬をゆるめ、運転席からそそくさと、手袋を外しながら降りてきたと記憶する。

 そして、そこいら辺の世間話をしたり、これから弟子に手伝ってもらってこういう風にやるんだ、というような建物のことや、他に関わっている事業の豊富について、こまごまと語ってくれた。
 
 そんな話に互いに興じながら、私の頭の中は、マイペースでやっているのはいいが、周りの住民達ともめ事がなければいいんだが・・・という位のことを考えていたと思う。

 そんな日の夜、私は奇妙な夢を見た。それは、JR山手線の駅近くの工事現場のようで、熊田に似た男が操作していた重機が、突然あらぬ方向に暴走してしまい、彼の意図とは裏腹に、間違って隣の他人の家の屋根を、すっかりぶっ壊してしまったという夢だった。

 私は、その男が熊田であるとすぐ分かった。だが、彼のトレードマークのいつもの自信と押し出しの強さはどこへやらで、まるでダリのくねった時計のようにへたり込んでいた。

つづく・・・・

2009年08月13日


信州・岡谷の太鼓祭り


今日は岡谷太鼓祭りが開かれる。

300人の揃い打ちなど目玉が目白押しである。

屋台も多いし、年々国内外の来場者が増えている様だ。

アメリカ・ミズーリ州セントルイスの「セントルイス諏訪太鼓」
のメンバー9人も訪れていて、昨日は昨年亡くなった宗家の
小口大八氏の墓を訪れたようだ。


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以上の写真は、2009年8月14日の岡谷太鼓祭りの模様


  


  私の小説より~

  頑張れ!セルフビルダーより抜粋


 髭面顔は真っ青に漂白されていて、首から足の先まで震える体をもてあますように、「まずいことになった、僕はどうしたらいいんだ。」と言って、人に気づかれない資材置き場の陰で、どこか美代子に似た女にしばらく取りすがっていた。
 
 だが、私を見るや、今度はわっとばかりに泣きついてきた。

 私は、恐るるべき時がついにやってきたというような、驚きとも狼狽とでもいうような強い束縛を体全体に感じ、彼を落ち着かせようと、その辺の地面にべったり座らせた。
 これは困ったな、と夢の中でへこんでいると、そのうちに、今度は私の体の中から冷や汗がほとばしり出てきた。思わず、「うーん、うーん」と私は唸った。

 私は、いつまでも唸っていてもらちがあかないので、「他人の家を壊したんなら、すぐに再建の保証をするしかないだろう、謝って済むもんじゃあない、私がどうにかするからちょっと待て、まあ、あわてるな。」と心の動揺とは裏腹な、自分でも信じられないような落ち着き払ったことを言い、直ぐにその隣の家に駆けつけた。
 
 しかし、隣の家には色めき立った近隣住民が大勢押しかけ、ガヤガヤと勝手なことを言っている。

 隣の家の住人をよくよく見れば、かなりの年寄りであったが、血圧が上がるのも恐れず怒りに震える声で「隣の現場の野郎どもは信じられん馬鹿なマネをするもんだ、いったいどうしてくれるんだ・・・俺の家を壊したのはどこのどいつだ!その辺に隠れてることは分かっている・・・聞こえてるんなら、3つ数えるうちに出てこないと為にならんぞ・・・」とわめき散らしていた。

つづく・・・・

2009年08月15日


信州の建築家・ノート


今日は、朝から庭木の剪定をしてから墓参りをして
、このブログにとりかかった次第。

中央高速道路は、東名高速道路の上り車線が
不通のため、相模湖あたりでたいへんな混雑模様。

義理の父が、車で東京方面へ用事で出掛けたが、
さて、はてどうなったことやら・・・


 私の小説集より~

 頑張れ!セルフビルダー

 しかし、美代子のような女は何故か冷静だった。いきなり、激高する隣人に詫びるのも策がないと思ったのであろう、三つ数え終わってから暫くして、怒鳴り声が納まって来たのを見計らって、しずしずと老人の面前に進み出たのである。

 そして、怒れるその老人をなだめ透かすように、ゆっくりと落ち着いた調子で言った。
「すみません、この人はあなたに怒られるのが恐くて・・・さっきから物陰でガタガタ震えております、あなたの家を壊したショックで頭がおかしくなってしまいました、ですからどうか、この私に免じてお許し下さい。この人が壊してしまった所の修繕代は、必ず私がお支払いいたしますから・・・」
 
 老人は、予想に反したこういうソフトな言葉に一瞬気持を和らげた。それまで頭からつま先まで怒りで燃え上がっていた炎が、うそのように弱まったのに驚いたくらいだ。
 昨年妻を亡くしたせいかどうかは分からないが、孤独暮らしから社会の矢面に舞い戻った気負いのような喜びすら感じたのである。

 いずれにしろ、こうして女は老人の家の壊れ状況をつぶさに調べることができたのは好運だった。
お陰で修繕費を算出することが出来、老人と交渉に持ち込めるであろうと思われたが、そうは言っても、修繕費が出たところでこの老人の満足に叶うかどうか、それが明らかになったわけではなかった。

 どうやら老人は、熊田を必死で庇うシャキッとした女の態度が気に入ったらしいが、これは美代子のような女にのみ一瞬、心を開いただけであって、壊した張本人の熊田に対する威圧は消えるどころか、かえってますます鋭く差し込んでゆくのだった。

 熊田はと言えば、すっかりへたりこんで動けないし、彼のわなわな震える開きっぱなしの口からは、あわぶくのような汚物が垂れ流しになっていた。
 
 言葉が出てくる訳でもなく、私の顔を弱々しい光の失せた目で、すがるように見つめるや、目からは涙がこぼれ落ち始めた。その涙は、作業用のジャンパーのえりぐちをびしょびしょに濡らした。
 
 それを見た私は、こういう場合には、どうしたらいいものか暫く考えたが、それから一計を案じた。
 
 ここまで派手に壊しちまったんなら、いっそうのこと、私の会社のモデルハウスかなにかに建て替えてみるか、しかし、それはいいが、隣の家を無断で処分する訳にもいかんし、あの年寄りは執念深そうだし、さてはてどうするか・・・などと思案している所で眼が覚めた。

 ああ、夢でよかったと思った。

 しかし、その後、私が見た夢のようなアブナイ事は何も起こらなかったし、熊田は、このレストランビルを、何事もなかったかのように完成させた。
 
 彼には、何時のまにやら再びセルフビルダーの自信が蘇っていた。


つづく・・・・・

2009年08月19日


金大中氏に黙祷


 金大中氏が亡くなったという。

日本における拉致事件のことは鮮明に覚え
ている。

韓国は、当時光州事件で揺れていた。
金氏は光州事件の首謀者と見なされ
投獄されたのは昨日のことのようだ。

あの頃の韓国の政情は現在とはほど遠く、民主化が
遅れていたということも災いだが、この投獄には深い
政治的な色合いがにじんでいたであろう。

しかし、彼はその後になって大統領になり、ノーベル
平和賞を授与されたが、南アフリカのアパルトヘイトに
抗して投獄され、後に大統領になったマンデラ氏と
同様、これには感激したものだ。

南北対話、日本とのパートナーシップの構築など
筋金入りの平和と和解の指標のような人であったと思う。

ご冥福をいのる。

2009年08月22日


長野市・鬼無里に行ってきました


長野市鬼無里(きなさ)は、もとは上水内郡鬼無里村といった
のですが、最近、長野市と合併し、このような地籍になりました。

きょうは仕事で鬼無里にいって参りました。

写真は、長野市中心部と鬼無里の中間あたりの山間の
風景で、松島トンネルの手前の鬼無里よりの地点。
 流れている川は裾花川(すそばな)。

長野県はとにかく高度の落差が大きく、しかも広い広い・・・


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2009年08月25日


鉢伏山~高ボッチ


土日にかけて、信州の八ヶ岳山系の鉢伏山から高ボッチ
あたりを散策して参りました。

天候に恵まれたので、普段見ることの出来ない山々を
遠望することが出来、これはこれで満足でした。

ただ、泊まった山小屋で飲み過ぎて2日酔いになり、往生
したのがおまけでした。


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写真には、富士山と諏訪湖が写っています。
富士山は普段は霞んでいて見えないことが
多いですが、この日は見事でした。


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こちらは北アルプスの山々の偉容です。
左の方に槍ヶ岳が写っています。

2009年08月31日


総選挙から~


今回の総選挙の結果からすれば、これによって
今まさに
念願の2大政党への序章が始まった感があります。

長野4区の矢崎公二君(諏訪清陵高校の後輩)
の当選をお祝いします。

考えるに民主党の政治は当然ながら未知数で、
不安もありますが、ともあれ今を変えて戴けるなら、
これに勝るものは無いというところでしょうか。

政治にはいつも振り子のようなよりもどしがありますが、
これからの民主党の政治に期待します。

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