2009年10月 アーカイブ

2009年10月02日


もう10月ですね


はやいモノで、今年も10月になってしまいました。

きょうの新聞を見れば、広島県の鞆の浦の埋め立て
が認められないということだそうで、安心しました。

実は数年前にここを訪れたのですが、港と町並みの
景観が素晴らしくて感動した思い出があるからです。

こんな歴史的な町並みを変えてしまうような試みは
どうかな、と思ったものです。

いちど手を加えてしまえば、元には戻らないという
観点に立てば、この裁判所の決定は妥当だと思い
ます。


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2009年10月04日


信州の建築家ノート


きょうは朝から秋晴れの良い天気です。

こういう日は、運動会とかいろんな行事が
ありそうですが、皆様の所はいかがでしょう。

洗濯物に布団干しにピクニック・・・・。


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 私の小説・戦う住宅より・・・頑張れ!セルフビルダー~

 「セルフビルダーへの想い」・・・続きから~

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 例えば、最近はやりの角ログハウス(角材を横に重ねて壁にする工法)の場合。 

 これは角材をひたすら積み上げていく家の工法である。

 こういう建物の場合は、壁の水平、垂直を見たり、あるいは強度を考えたり、柱にほぞを掘ったりという作業が主体だ。やろうと思えば脱サラまで飛躍しなくても日曜大工でもできそうだ。

 それでも最初の慣れない裡は、床を踏み抜いたり、足場が崩れちゃったり・・・というような危ないこともあるだろうが、苦労した末に完成させてみれば、出来合いの家を買った人には決して味わうことの出来ない、言いしれぬ満足感に浸る事が出来るやもしれない。

 ちなみに、セルフビルダーといえば、十九世紀の終わり頃、フランス南部の片田舎であるドローム県オートリーブにシュヴァルの理想宮(Palais idéal)を建てた郵便配達夫、フェルディナン・シュヴァル(Ferdinand Cheval)やカリフォルニア州ロサンゼルスのワッツ地区にワッツ・タワー(en:Watts Towers)を建てたサイモン・ロディア(Simon Rodia)というような人がいる。この人達は石や鉄で家を建てることにこだわっている。

 何れにしろ、どんな建築物を作るかはセルフビルダーの自由。そうかといって、環境に配慮せず、基本的なルールも視野に入れなければ孫悟空のようなタガをはめられる。仮にも知らない、知ろうとしないと言うことは避けたい。

 つまり、セルフビルダーの気楽さと危うさは背中合わせだし、他人の建築を扱わない分、自前の建物への瑕疵(損害)の保証がないから注意を要するのである。

 しかしながら、セルフビルドには、メーカーやフランチャイズ(特定技術の工場生産方式を受け入れれば、マニュアル通り家が出来るので、工務店などを傘下に売れ行きを伸ばす、資本力旺盛なチェーン店など)に与しない、フリーランスな強み=独立性があるのが嬉しい。

 それゆえ、在来、外来の技術をつなぎ合わせ、再構築するバロメーターの役割を期待できる。これは、どんな技術でも良いところは取り入れるという、時代の潮流にも沿う。しかもセルフビルダーの多様な発想力は何と言っても捨てがたい。

 これは良識のある「知性派ビルダー」に限ったことだが、彼らの発想の柔らかさこそは、没個性へのシフトを強める現代社会において実に貴重だ。

 今こそこういう多様な宝の山を社会の為に役立てて欲しい。いやはや、これは持ち上げすぎだろうか・・・・

 余力をかって言わせていただくなら、コピー住宅の氾濫と没地域性という日本のこの「困った風景」に、「我が町のビルダー」の一員としての人間的、建設的、文化的な民意の一石を投じ波紋を広げてもらいたいのだ。

  つづく・・・


2009年10月06日


10月17日新宿ACTUSセミナーのご案内


来る10月17日に東京新宿のACTUS(アクタス)ショウルームにて
NPO法人 家づくりの会による家づくりセミナーを開催いたします。
皆様のお越しをお待ち申しあげております。

17日は、私と諸角氏が講師で、生活に密着した家具をテーマに
お話致します。家具は使いやすく気軽に・・・

これを機会にどうか参考にして戴ければ幸いです。

また、18日と24日にも同じ場所、同時刻にセミナーが開催されます。


場所: アクタス新宿店2F(東京都新宿区新宿2-19-1BYGビル1.2F)
都営新宿線/丸ノ内線「新宿3丁目」駅下車、C-8出口直結

日時: 10月17日


参加費:無料


お問合・お申し込み:
     家づくりの会  TEL03-5360-8061 E-mail: info@npo-iezukurinokai.jp

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2009年10月09日


信州の建築家ノート


台風が過ぎ去ったあとの秋晴れの寒い朝。

今年のノーベル賞はどんな人なのかな、と新聞を覗いてみた。

文学賞を受賞したルーマニア出身のヘルタ・ミューラーさんは
ドイツの文学者だ。

チャウシェスクの母国を追われドイツに移住、祖国の過酷な
抑圧社会を描いた作品に賞が与えられたという。

私は一昨年ルーマニアを訪れ、ミューラーさん出身の町の近く
を歩き、未だに残る独裁政権の街跡を生々しく感じてきた。

自由主義の国になったとはいえ、まだ広告看板が極端に少なく、
グレーに沈んだ無表情な通りの印象が脳裏に残る。

しかし、EU加盟を果たしてからは少しずつ街に明るさが出てきた
のではなかろうか。

ルーマニアは農業や観光立国として将来ある国だと思う。

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私の小説・戦う住宅より~「頑張れセルフビルダー」

   「セルフビルダーへの想い」・・・つづき


 勿論、建築設計事務所(建築家)にも、建主(クライアント)とともに魅力的な町づくりに貢献して欲しい。

 昨今ではメーカーなどの席巻で彼らの領域はますます狭まる一方だが、そうかといって、こういう顔のない地域のあり方、乱立建築、虫食いの拡散を放っておく術はない。

 この世はまさに、鯨が大口を開けたような大量消費時代。
 それゆえ、知らぬ間に、かの美しい集落が、懐かしい記憶の風景が、グローバル化の大波に飲み込まれ消えちゃった、なんてことがひんぱんに起こっている・・・
 
だからこそ、それを念頭に、「まてよ、これでいいのか日本は!・・・日本の風土を将来に伝えなければ・・・景観無視のオンパレードをなんとかしなくては・・・風景がめちゃめちゃになるまえに考えるべきだ・・・」と言いたいではないか。

 そして、心の通った街づくりを、建築家を含め、街を愛する数多くの「我が町のビルダー」たる大工さん諸兄やセルフビルダー=市民の皆さんにも求めていきたいという訳だ。

  早い話、セルフビルダーであろうがなかろうが、実現可能なら大工や左官組合制度など(大工や左官などの技術を各々の技量によって試験検定する、国の技術者等級登録制度を創設し、そこに登録されると、各々の技術者の等級に応じて賃金などの評価が設定される。)に登録しちゃえば、技術者を確保できるし、他人に頼らず手っ取り早いという話もある。

 その一方で、自由奔放なセルフビルダーに入れ込み過ぎて、逆に口から白い泡を吹かされないとも限らないということは心得ている。

 住宅メーカーやフランチャイズに与する会社はドンドン増え、任せっきりにすると、どんな家に住まわされるか分からない。資本の使い方を危ぶむ訳ではないが、果たして日本的な風情や味わいがあるのだろうか。

 「乾燥した外国の工法が、日本の湿潤な気候に合っているとは思わん。」というベテラン大工がいたが、これは、あたかも世界的なグローバル化現象が産んだ、多種建築混在のなれの果てのように思える。

 会社の為にはなりふり構わないという事情も分かるが、気候風土を愛する者の辛い気持も汲んでいただきたい。

 外国からなんでもかんでも取り入れてしまい、ひたすら利益オンリーでいい訳がない。国民の皆さんは殆ど知らずに言われたままに建てられてしまうから、ワカラン建築の拡大も罪なモノだ・・・

 新しい技術か、日本の気候風土に合った在来技術か、あるいは両者の融合か。そういう水かけ論は、ここでは果てもなさそうなので専門家に譲るが、必要なのは居住者の利益を忘れない心がけだ。

 考えてみれば、おおかたのセルフビルダーも目先は違うが自己流ワカラン建築の創造者だ。ただしその場限りの飛行士ではあっても創造の夢がある。

 夢多き操縦士は、もとより自分の意志で自分の為に操縦しているから、自分の抱えたやり方を社会一般に普遍していこうなどとは考えないのは至極当たり前。

 しかし、ビルダーの範囲を拡大して、これを町の大工さんの組合グループや市民にも広げて考えてみたらどうだろう。

 つまり、セルフビルダーが宮大工や寺院の屋根葺き職人や、数寄屋をする左官屋なんかに及ばないは自明でも、町を愛する市民の皆さんや大工さんらと協力する体制を作れば、活躍の場が格段に広がると言うわけだ。

 熟練職人の確保は難しく、建築設計事務所は土俵際で片足立ちで冷や汗たらたら、開店休業でキュウキュウだ。

 だから、低空飛行であろうが、気ままであろうが、色目を使っても危なっかしさがまとわりつこうが、期待がいつのまにやら祟り目に変貌するかもという波乱を含んでいようが・・・

 あるいは朝から晩までふっかけ論議に明け暮れ暇な時間を費やすのがお好きであろうが、夢みるセルフビルダーには、街の再生という土俵でユニークな視点をいかんなく発揮してもらいたいのである。


  つづく・・・

2009年10月10日


信州の建築家ノート


アメリカのオバマ大統領がノーベル平和賞
を受賞したという。

民族や宗教や国をこえた世界の和平が求められる中、
こういうニュースが世界の和平実現への追い風になっても
らいたいものだ。

この受賞には、オバマ氏に活躍の場を与えたいという含み
もあるのではなかろうか。いずれにしろ、これからに期待
したいところだ。


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私の小説・「戦う住宅」より頑張れセルフビルダー

「セルフビルダーへの想い」・・つづき


  ここで考える・・・
 
 さてさて、「今に残る奥ゆかしい日本独自の建築文化や街並みを再生し、魅力溢れる資源としてこれを後世に伝え、そこにモダンという趣も加える」という屋台を、これから先、誰が牽引するか。こちらの心配のほうは洗濯した干し物のようにゆらゆら揺れ、どうやら果てしない雲のかなた。・・・しかし、ここがドッコイ土俵の踏ん張りどころ。

 迷わずすぐに思い至るのは、「我が町のビルダー」諸兄が束になって、グローバル化による虫食いから街を再生し、個性を今まで以上に強く太く発信する必要だ。

 それには、誰でもが一度は訪れたい、見物したいと思うような魅力の源泉を創出するに尽きる。

 コンサートやオペラ、ギャラリーや美術館や公園といった娯楽や憩いの場を生み出すのは勿論、歴史ある建築を開放し、復元し、或いは修復して、そこに新たなモダンで多様で現代的な機能を持たせ、必要な施設を付帯させる。出来上がったステージには世界隅々からの来客を招き入れる。

 それをやるには、町の知識人や大工さんや町並みを愛する「我が町のビルダー」ならではのノウハウに裏付けられた広義な発想力、もしくはモダンな色合いを持つしたたかな建築家の視点が欠かせない。
 
 街を再生し、活力を呼び戻し、眠っていた魅力を表舞台に創出する・・・・

 それは例えば、古い民家の和室の欄間や建具といった文化財レベルを保存しつつ、木食い虫が穴をあけたらそれをなぞって修理することも一つ。

 曳き屋をして離れた棟を引き寄せ、町並みを形成するとか、土壁をばらして新しい土と混ぜ合わせ練り直して再び塗り込めるとか、そこにまた新しい歴史の息吹を吹きこむなんてことも考えられる。

 それから残っている遺産を詳しく実測し図面化するとか、土産や味の店舗として再利用するなどという、それが先人のマネだろうが、復元の参考だろうが、あるものは使いに使い、穴の空くほど観察し技を盗む。こうやって、世界のどこを探せどもそこにしか無い魅力にみちた街に生まれ変わらせるのである。

 既存の建物が身近な財産であればあるほど、これらを骨の髄まで利用する・・・

 これが出来るのはもしや、「我が町のビルダー」とスポンサーたる賛同者だ・・・たとえ夢でもそうあって欲しい・・・


  つづく・・・・


2009年10月12日


10月17日・新宿ACTUSセミナー・へのお誘い


家具というのは、使うほどに馴染んで来るようなものが
オススメです。

ご希望に応じて作製された家具の味、使いやすさ、愛着・・・

或いは古い家具の魅力・・・

さまざまな凡例を通じて、家具のあり方を考えていただければ
幸いです。

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■来る10月17日に東京新宿のACTUS(アクタス)ショウルームにて
NPO法人 家づくりの会による家づくりセミナーを開催いたします。
皆様のお越しをお待ち申しあげております。

17日は、私と諸角氏が講師で、生活に密着した家具をテーマに
お話致します。家具は使いやすく気軽に・・・

これを機会にどうか参考にして戴ければ幸いです。

また、18日と24日にも同じ場所、同時刻にセミナーが開催されます。


場所: アクタス新宿店2F(東京都新宿区新宿2-19-1BYGビル1.2F)
都営新宿線/丸ノ内線「新宿3丁目」駅下車、C-8出口直結

日時: 10月17日


参加費:無料


お問合・お申し込み:
     家づくりの会  TEL03-5360-8061 E-mail: info@npo-iezukurinokai.jp

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2009年10月14日


空港は大きい方がいいが・・・


羽田空港をハブ空港化するという。

日本の空港が、国際競争力をつけるには、今以上のより大きな空港が
必要で、このままの状態では諸外国に遅れをとるだろう。

つまり、近隣の韓国や中国やシンガポールの大型空港に顧客を奪われて
しまうからだ。

成田はいろんな苦い歴史をかかえてきたから、羽田に国際空港としての
お株を奪われる事が容易く受け入れられないことはよく分かる。

しかし、我々は成田から都心までの不便さが身に滲みている。

日本もここいらで空港の未来を考える時期にきたのではないか。

成田と羽田・・・これからの粘り強い調整が見守られる。

2009年10月16日


信州の建築家ノート


 先日、20世紀少年という映画を見た。

 この映画はある子供の過去を基軸にした構成で、
その子供がそのまま大人になって、世界征服
のようなことを目論む展開になっていた。

 しかし、そんな目論見は外れ、人類は救われ平和は
保たれる?のだが・・・あくまでも詰めの甘い視点は、
やはり子供向けの目だからというところか・・・

 要するに漫画が映画になったわけだが、(漫画の)
原作?の意図がそのまま映画に乗り移ったというよう
な印象だ。

 考えてみれば、男子というものはいつまでたっても
子供のようなところがあり、それが時々思い出したよ
うに顔を覗かせる場合が・・・いいか悪いかはさておき・・・
 
 とまれ、子供心を忘れないで生きるというのも、夢多
い人間にとっては捨てがたい・・・しかし、果たして世の
中そう上手く行くものかどうか・・・

 友人も長続きすれば、自分の歴史そのものだから、
もしや子供時代からの友人なら、それこそ宝のような
ものではないか。

 


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私の小説・戦う住宅より・・                   

彫刻家のアトリエとすまい・・・・ある彫刻家の決意
 
 


 この話は、今から三十年前くらいの出雲が舞台で、主人公の彫刻家、錦織正三のアトリエとすみかの織りなす時代を超えた変遷について述べている。

 すみかは歴史の流れに恭順するかのごとく、その目的を変えて人々と共に生き続けることがある。

 当時、私は島根の片田舎の役場で働いていたが、このことについては後述する。

その頃の記憶によれば、樹齢百年以上の松並木が続く出雲大社参道の脇道沿いに、この彫刻家の親子は住んでいた。
 彼は、母親と二人だけの慎ましい暮らしであった。家業の骨董店には興味が無く母親に任せっきりで、朝から晩まで殆ど一日中アトリエに籠もりっぱなしの毎日だった。

 そもそも私がこの彫刻家と知り合いになったのは、松江で開催された彼の彫刻展を見に行ってからだ。その時は、客が少ないのをいいことに、錦織を独り占めにして話し込んだ記憶が残る。
 私は、物心がついた頃から彫刻には興味があり、美術館巡りは趣味のようなものだったので、新聞で彼の彫刻展の案内を見てからは、開催日までが待ち遠しかったくらいだ。

 正三の個展には、十体ほどの裸体像や数点のスケッチが出品されていたが、どの作品も期待通りの力作で、対象の人物が今にも内面から滲み出て来そうな見応えのあるものばかりだった。

 島根で生まれ育ち、今から四十年くらい前に東京の大学に学んだ私は、大学では小泉八雲の小説・・・登場する幽霊と背景としての家など・・・の研究をしていた。
 ちょうどその頃、松江城の内堀に面した、小泉八雲記念館近くの生家=工務店が倒産してしまい、父はその時の心労がもとで他界した。

 母は既に亡く、兄弟はない。私は大学を辞め生家の整理のため故郷に戻った。父が所有していた土地の大半は債務返済に充てられ、生家だけがかろうじて残ったが、再び上京する気にはなれず、ひとまず故郷の町役場に入った。

 役場では観光課というところで、観光PR用のパンフレットの作成に励んだ。
 当時は、出雲空港が開港したばかりだったが、なぜか閑古鳥が鳴いていた。
 そこで、空港のまわりの市町村では、このままではしゃれにもならないと思ったかどうか知れないが、せっかくの空港の恩恵を生かそうと、近在の観光地からの連絡道路を空港への幹線道路に接続させ、さらにこれに併せてそれらの町の再開発もやろうと目論んでいた。

  つづく・・・

2009年10月20日


信州の建築家ノート


良い建築を作りたい・・・
 そのお手伝いをしたい・・・常々そう思っています。


 住みやすい住宅にするには、まず、より効率的な収納スペースを
確保すること。収納スペースは家のなかを片付け、空間を快適に
開放します。

 また気に入った家具を置けば、自分の家という感覚がより一層
深まります。
   
 写真は10月17日の新宿ACTUSセミナーに使わせていただいた
本棚を中心にした収納の様子です。

 17日のセミナーでは、家具についてのお話しをしました。

 本箱の両脇には机が置かれていますが、これらは、使う人によっ
てそれぞれ別の目的を果たしています。

 右側の机は縫い物などの家事に使われ、左側の机は、書斎とし
て或いはパソコンルームとして多目的に使われています。

 本棚や収納の位置は固定されたモノではなく、そこが玄関であれ、
廊下であれ、間仕切りであれ、空いたスペースに積極的に配置する
のが効率的です。(ビルトインの家具ならいっそう物の整理が捗ります。)


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  私の小説・戦う住宅より

  彫刻家のアトリエとすまい
     ・・・・ある彫刻家の決意~


 だが、私は、後に世界遺産で有名になった、石見銀山や大森の町並みのような、ありのままの姿が島根の誇りだと思い、むやみに過疎の町を破壊するのに反対だった。

 要するに目先の観光客目当ては絵に描いた餅、税金の無駄使い、そして、仮に観光ブームを演出しても、必ず廃れるのがオチだと決めつけた。それに観光をダシにした、役人と業者の蜜月な空気が蔓延(はびこ)するのも嫌だった。

 私はある日、町の土木部の連中とトラブルを起こし、窓際の閑職に追われた。役場内で有志を募り、道路建設反対をあからさまにやったのが災いした。

 しかし、窓際にへばりついていると、いつしか「いっそ東京で何か物を作り残す仕事がしたい。」という突き上げるような渇望が芽生え始め、それが日増しに体内に広がり占領した。それで、錦織と知り合ってから数年後に役場をやめて東京に出た。その後の話は、第二話以降に詳しい。

 さて、彫刻家の錦織正三の住む辺りは、出雲大社の祭の日には、大勢の氏子や見物客でごった返すことはつとに知られている。

 祭りのない日でも年中、全国からの参拝客や町内外の人の往来があるこの通りには、地場の土産物屋などが軒を連ね、その軒先には、色とりどりの暖簾や看板が満ちあふれている。

 ちなみに、大社への参拝客は年間三百五十万人だとか。農業や福の神として知られる大国主命が祀られ、縁結びの神様がいるとも言われる大社の大注連縄は、約一、五トンあるという。
 
 正三は、かねてよりアトリエと住まいの計画を立てていた。なにぶん建築には素人で何ら専門知識を持たず、それをまた誰に相談していいか思い悩んでいた。
 
 近くの建設会社に行くのも億劫、設計の専門家を知る術もなかった。

 だがある時、少々不安はあったものの、思いきって知人で画家の木下諒一という男に相談した。
そのことについては後述するが、木下は、錦織の話を聞くと、すぐに友人の井上望という建築家を紹介した。井上は木下とは同い年で昔からの飲み仲間だった。
 
 彼は住宅の設計や民家の再生を手がけ、毎年、スペインやイタリアの地中海沿岸の集落を訪ねては現地の人達と交流を深めていた。


   つづく・・・・

2009年10月22日


「チベット展」見ました


 上野の森美術館で開かれている「チベット展」
を見に行って来ました。

 このような「チベット展」は、今回が日本では
初公開になるということです。

 日本に伝えられた密教美術とは違い、チベット
の密教美術はどこか人間くさく親密なものでした。
 
 特に仏像では信仰の対象と言うより、より身近な
存在というものが感じられ、ちょっと話しかけたく
なるような衝動にさえかられました。

 くねった肢体、あるいは両足を大きく広げ空間と
の取り合いを図る彫刻・・・

 さらには・・・色鮮やかな神々の肖像画や曼荼羅
図絵や民族衣装・・・

 どれもこれも珍しい・・・そしてチベットの人は
日本人にたいそう似ているのです。


これは必見です。

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2009年10月25日


右近彰夫氏の作陶展


長崎に住む右近彰夫さんが岡谷市の照光寺
の光明閣3階で24日から11月1日まで
作陶展を開いています。

岡谷市本町2-6-43
TEL0266-22-2314
AM9:00~PM5:00

花さし、茶道茶碗、水差しなど数十点が展示
されています。

どれもこれもなかなかの出来映えで、欲しく
なってしまいそうです。


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2009年10月28日


信州の建築家ノート~右近彰夫さんの作陶展Ⅱ


照光寺で開催中の右近さんの作陶展で花さしを
買いました。

茶色の絵模様がいろいろ見える楽しい買い物を
しました。
早速、白式部を飾って見ました。
いかがでしょうか。


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庭のドーダンツツジが真っ赤に色づいていました。
この2~3日、秋が深まっている気配が感じられ
ます。

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私の小説・戦う住宅より

 ある彫刻家の決意~
        理想の住まいとの戦い

ここで、画家の木下について・・・

 彼は、絵を描くのは一年の半分で、あとは殆どが撮影旅行であった。家を妻の浪江に任せ、有り金つかんで行く先は、アメリカ南部のサンアントニオやカリブ海の島々だった。

 ロスアンジェルスには、若い女流カメラマンがいて、いつも木下の世話を焼いてくれたので、気をよくしていたが、それでも旅先から、はっと思いだしては妻に絵はがきを出した。

 それは、限りなく細く伸びきった危うい絆だったが、ある時、実家に帰ると、ガラーンとした居間に、妻の「下関の実家に戻ります、さようなら」という書き置きがあるだけだった。木下は、あっけなく捨てられたのである。

 さて、この大社の大鳥居を潜り、寂れた参道から小路を東に十数㍍入った所には、「ひろこ」という、黒い板塀の、古めいた小さな居酒屋があった。

 おおよそ奥行きが三間で、そこは、木下や井上を交えた、この辺に住む常連の溜まり場だった。油煙で薄汚れた店内の黒ずんだ棚には、島根の純米酒やウィスキー瓶が並んでいた。

 正三もたまにはここを訪れたが、木下や井上と顔を合わせることは殆どなかった。
正三は酒場の雰囲気は好きだが、暇を持てあましている常連に混じって飲むのも、近所のたわいもない話に引きずり込まれるのも苦手だった。
 ただ、店のママには惹かれるところがあった。


  つづく・・・

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