台風が過ぎ去ったあとの秋晴れの寒い朝。
今年のノーベル賞はどんな人なのかな、と新聞を覗いてみた。
文学賞を受賞したルーマニア出身のヘルタ・ミューラーさんは
ドイツの文学者だ。
チャウシェスクの母国を追われドイツに移住、祖国の過酷な
抑圧社会を描いた作品に賞が与えられたという。
私は一昨年ルーマニアを訪れ、ミューラーさん出身の町の近く
を歩き、未だに残る独裁政権の街跡を生々しく感じてきた。
自由主義の国になったとはいえ、まだ広告看板が極端に少なく、
グレーに沈んだ無表情な通りの印象が脳裏に残る。
しかし、EU加盟を果たしてからは少しずつ街に明るさが出てきた
のではなかろうか。
ルーマニアは農業や観光立国として将来ある国だと思う。
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私の小説・戦う住宅より~「頑張れセルフビルダー」
「セルフビルダーへの想い」・・・つづき
勿論、建築設計事務所(建築家)にも、建主(クライアント)とともに魅力的な町づくりに貢献して欲しい。
昨今ではメーカーなどの席巻で彼らの領域はますます狭まる一方だが、そうかといって、こういう顔のない地域のあり方、乱立建築、虫食いの拡散を放っておく術はない。
この世はまさに、鯨が大口を開けたような大量消費時代。
それゆえ、知らぬ間に、かの美しい集落が、懐かしい記憶の風景が、グローバル化の大波に飲み込まれ消えちゃった、なんてことがひんぱんに起こっている・・・
だからこそ、それを念頭に、「まてよ、これでいいのか日本は!・・・日本の風土を将来に伝えなければ・・・景観無視のオンパレードをなんとかしなくては・・・風景がめちゃめちゃになるまえに考えるべきだ・・・」と言いたいではないか。
そして、心の通った街づくりを、建築家を含め、街を愛する数多くの「我が町のビルダー」たる大工さん諸兄やセルフビルダー=市民の皆さんにも求めていきたいという訳だ。
早い話、セルフビルダーであろうがなかろうが、実現可能なら大工や左官組合制度など(大工や左官などの技術を各々の技量によって試験検定する、国の技術者等級登録制度を創設し、そこに登録されると、各々の技術者の等級に応じて賃金などの評価が設定される。)に登録しちゃえば、技術者を確保できるし、他人に頼らず手っ取り早いという話もある。
その一方で、自由奔放なセルフビルダーに入れ込み過ぎて、逆に口から白い泡を吹かされないとも限らないということは心得ている。
住宅メーカーやフランチャイズに与する会社はドンドン増え、任せっきりにすると、どんな家に住まわされるか分からない。資本の使い方を危ぶむ訳ではないが、果たして日本的な風情や味わいがあるのだろうか。
「乾燥した外国の工法が、日本の湿潤な気候に合っているとは思わん。」というベテラン大工がいたが、これは、あたかも世界的なグローバル化現象が産んだ、多種建築混在のなれの果てのように思える。
会社の為にはなりふり構わないという事情も分かるが、気候風土を愛する者の辛い気持も汲んでいただきたい。
外国からなんでもかんでも取り入れてしまい、ひたすら利益オンリーでいい訳がない。国民の皆さんは殆ど知らずに言われたままに建てられてしまうから、ワカラン建築の拡大も罪なモノだ・・・
新しい技術か、日本の気候風土に合った在来技術か、あるいは両者の融合か。そういう水かけ論は、ここでは果てもなさそうなので専門家に譲るが、必要なのは居住者の利益を忘れない心がけだ。
考えてみれば、おおかたのセルフビルダーも目先は違うが自己流ワカラン建築の創造者だ。ただしその場限りの飛行士ではあっても創造の夢がある。
夢多き操縦士は、もとより自分の意志で自分の為に操縦しているから、自分の抱えたやり方を社会一般に普遍していこうなどとは考えないのは至極当たり前。
しかし、ビルダーの範囲を拡大して、これを町の大工さんの組合グループや市民にも広げて考えてみたらどうだろう。
つまり、セルフビルダーが宮大工や寺院の屋根葺き職人や、数寄屋をする左官屋なんかに及ばないは自明でも、町を愛する市民の皆さんや大工さんらと協力する体制を作れば、活躍の場が格段に広がると言うわけだ。
熟練職人の確保は難しく、建築設計事務所は土俵際で片足立ちで冷や汗たらたら、開店休業でキュウキュウだ。
だから、低空飛行であろうが、気ままであろうが、色目を使っても危なっかしさがまとわりつこうが、期待がいつのまにやら祟り目に変貌するかもという波乱を含んでいようが・・・
あるいは朝から晩までふっかけ論議に明け暮れ暇な時間を費やすのがお好きであろうが、夢みるセルフビルダーには、街の再生という土俵でユニークな視点をいかんなく発揮してもらいたいのである。
つづく・・・
