柏の葉が綺麗です。
今頃が紅葉の盛りですが、これから先は
少しずつしおれていくのでしょう。
落ち葉を集めて焼き芋をする季節になってき
ました。
今年も余すところ2ヶ月を割りこんで参り
ました。



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私の小説・戦う住宅より
ある彫刻家の決意~
理想の住まいとの戦い
父の富松は、留学から帰っても家に閉じこもりっぱなしで、無為に酒に溺れる息子を、ただのぐうたらだと決めつけた。しかし正三にしてみれば、彫刻の制作は、父の道楽よりはずっと崇高なものだという自負があった。
父に何と言われようが、逆にこれが手前勝手な父への反発となり、皮肉にも創作意欲の支えをなした。ところが父が他界すると、こんどは妙にあたりが空虚になり、しんみりと穴が空いたようで創作意欲が湧かない。
ところがしばらくの間、身が入らずモンモンとしていたある時、骨董の中に円空の仏像を見た。鉈(なた)による荒削りながら、無駄のない素朴なこの仏像に正三はすっかり魅せられた。
これが正三と正三の家の風景だった・・・
一方、木下のアトリエは、大社の大鳥居近くにあった。蔵を改造した吹き抜けの壁には、2階の天井まで届きそうな作品が幾つか木枠に貼られ立てかけてあった。キャンバスなどの画材やカメラ、古びた箱形スピーカーに囲まれて、使い古した黒い鉄の薪ストーブがあった。
木下の絵は、白い特殊な顔料をベースにした油彩で、大小の刷毛や筆を使い分けて描く色彩からは、いろいろな形態や模様が現れ出る。様々な絵の具があたり一面に飛び散り、この床全体がまるでJ・ポロックの抽象画の様だった。
正三は家の建て替えにあたり、一階の骨董店に接続して母親の食堂とキッチンと水回りを作ろうと考えた。母は、夫が残した古物に囲まれて商売するのが好きだが、これらを思い切って整理し、価値のありそうな物だけを残す事にした。箪笥や磁器には、買い手にも分かりやすい様に売値札を付けることにした。
店に接続した母屋は、こじんまりとしたロフトの付いた二階建が良かろう。自分の寝室はその二階に設け、玄関は別にして、ダイニングキッチンと寝室を繋げ、二階の上部には将来の子供室や書斎などを配置するのが望ましいのではないか、これでいくと延べ四十坪以上になるだろう。
正三は、自分の使っているアトリエは取り壊し、母屋と店舗と新しいアトリエは廊下で繋げ、もう一棟の古いレンガの倉庫は残したいと思った。
五月の真紅のツツジが満開の頃、正三は木下に勧められるまま、出雲大社の裏手の井上の事務所を訪ねた。色白で頭のてっぺんが薄くなった井上は、丸い顔の頬を膨らめてにこにこしながら、待ってましたと応接のソファーに迎えてくれた。
手伝いのショートカットの若い女性が素早く緑茶を出してくれた。井上はしばらくソファーに腰を沈め、正三の断片のように途切れがちな話を聞いていた。
そのうち正三の敷地の一部が他人名義だと知り、そう言うことでしたらその土地を使ってもいいという承諾書を、地主からもらってください、そうでないと家が建ちませんからと言った。
無断で土地を占拠し続けたのでは地主に対して誤解を生むからだ。
それから井上は、せっかく訪ねてくれた正三に地中海の村々の写真や、家の設計図や模型、スケッチなどを披露した。正三はそういうものを見せられても改まって感想を言うでもなく、ただ黙って見ているだけだった。
正三は、口数が少ないのは生来の性分で、ソファーに沈黙したままで井上の説明を窺っていたが、しばらくしてから、
「承諾書のことは、よくわかりました。」と伝え、
「その前に井上さん・・今日の話からだども・・、あなたの考えを見せてごさんかね。」と言った。
井上は即座に承知した。
井上からは早速これに応えるかのように、白い壁と赤い瓦屋根の外観、ムクの木を豊富に使ったイメージパースが郵送された。
同封の手紙には、建物を三階建にすると、室内を燃えない建材にすること、火事の時に一階に避難するための階段が必要だという説明があった。それに、木造といえども構造計算の裏付けがいると記してあった。
ところがその翌日、井上の事務所の留守番電話に錦織正三からの伝言が入っていた。それは、
「家のことは白紙にしてごさんかね。」という内容だった。
「おいおい、いったいどうしたっていうんだ・・・そんなことが・・・いくら何でも余りに早すぎるじゃあないか・・・」井上は、伝言の意味がよく理解できず、白紙にする理由も飲み込めなかった。すぐさま彼は木下のアトリエに行って理由を正した。
そこで木下は意外なことを口にした・・・・
つづく・・・