2009年11月 アーカイブ

2009年11月03日


もう11月だ・・・


早いもので、もう11月ですか・・・

先日、東京にて、家づくりの会と関西の建築家諸氏の
交流会をしました。

中でも浅草の善照寺(白井せい一設計)は保存がよくて
建設当時のままを留めていました。


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私の小説より・戦う住宅

ある彫刻家の家~


 店のママは色白で小柄で澄んだ瞳に寂しげな憂いを漂わせていた。
常連達は、あたかも白い蘭に群がるミツバチのようだった。木下もまた、飲み過ぎてはカウンターに顔を埋める日があり、そういう時はたいてい、「朝だよ、メキシコに太陽が昇ったよ。」とママに耳元でささやかれ、じんわりと甘い息をうなじに感じて、はっと我に返るのだった。

 「ひろこ」や木下の事はこれぐらいで、錦織正三の家について述べる・・・

 正三の家は、戦後、父の富松が始めた骨董店を母の澄枝が継ぎ、土産物も売っていた。家のほうは四十年ほど前に父が建てたが、既にかなり老朽化し基礎はヒビだらけだった。さらに土台はあちこち腐り屋根は所々で雨漏りもしていた。
 
 敷地は、おおよそ三分の二程度が自分の所有で残りは借地。他人の土地にはみ出て、店と母屋とアトリエと古い倉庫の四棟があった。

 正三は中背で痩せていて、群青のジーンズがよく似合った。苦学して美術大学の彫刻科を出て、国からの奨学金でパリに半年ほど留学した経験があり、家の計画を思いついたのは彼がちょうど三十歳の時だった。

 彼はエレキのベースギターを学生時代からやっていて、時々地元の小バンドに出て共演することも珠にはあったが、余り気乗りもせず人見知りをするせいか、なかなかバンド仲間に馴染めなかった。

 この彫刻家は、小型の青い車を大事にしていたが、その車のマフラーやドアの内側は長年乗り回したせいか相当に傷んでいた。彼はこの車の計器類の間に自分で作った小さな銅の蜥蜴(とかげ)の彫刻を嵌め込み悦に浸っていたが、この蜥蜴はグロテスクでまるで生きているようだった。


  つづく・・・

2009年11月07日


松井選手、やったですねー


ヤンキースの松井選手がワールルドシリーズの最終戦
で大活躍したんですねー。やりました!

そして続く優勝祝賀パレードもよかったですねー。

松井選手、来年はどこのユニフォームを着るのか分か
りませんが、ヤンキースに残留しようが、どこかよそ
のチームにへ移ろうが、かわりなく応援しなくちゃあ・・・

足のけがも治してもらいたいし、出来れば守備にも復帰
してもらいたい・・・

私は、おおいに期待しています。

2009年11月10日


信州の建築家ノート


紅葉が美しいこの頃・・・

白樺の葉もイチョウの葉も黄色く色づいて今が一番
美しいときかも・・・

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私の小説・戦う住宅より

ある彫刻家の決意~
        理想の住まいとの戦い

 ママは色白で小柄で澄んだ瞳に寂しげな憂いを漂わせていた。

 常連達は、あたかも白い蘭に群がるミツバチのようだった。木下も井上も、同じように飲み過ぎてはカウンターに顔を埋め、そういう時は決まって、「朝だよ、メキシコに太陽が昇ったよ。」などとママに耳元でささやかれ、じんわりと甘い息をうなじに感じて、はっと我に返るのだった。

 正三の生家は、戦後、父の富松が始めた骨董店を母の澄枝が継ぎ、土産物も売っていた。家と店は四十年ほど前に父が建てた。それらは既にかなり老朽化し基礎はヒビだらけだった。土台はあちこち腐り屋根は所々で雨漏りもしていた。

 敷地は、おおよそ三分の二程度が自分の所有で残りは借地だった。そこには店と母屋の他に仮設小屋のような正三のアトリエと古い手つかずのレンガの倉庫の合わせて四棟があった。

 正三は中背で痩せていて、群青のジーンズがよく似合った。苦学して美術大学の彫刻科を出て、国からの奨学金でパリに半年ほど留学した経験があった。
 
 家の計画を思いついたのは彼がちょうど三十歳の時だった。

 彼はエレキのベースギターを学生時代からやっていて、時々地元の小バンドに出て共演することもあった。だが、人見知りが過ぎてなかなかバンド仲間に馴染めなかった。

 彫刻家は、小型の青い車を大事にしていた。その車のマフラーやドアの内側は長年乗り回したせいか相当に傷んでいた。彼はこの車の計器類の間に自分で作った小さな銅の蜥蜴(とかげ)の彫刻を嵌め込み悦に浸っていた。この蜥蜴はグロテスクでまるで生きているようだった。

 彼のアトリエには、芯になる針金の上に、粘土が少し被せられた彫刻、或いは完成に近いと思われる若い女性像の作品があった。床には粘土の破片、石膏、針金などが散らばり、粘土をこねる幅広の薄板や幅の狭いへらなどが、隅の方に無造作に重ねられていた。
 
 上半身の石膏像が背丈よりやや高めの棚の上に数体並び、そのすぐ下の大きめの窓からは、サルスベリのある庭の奥が見え、その木の根本にはふきが群生し広がっていた。その庭の生け垣の向こうには、古い赤茶色のレンガの倉庫がたたずんでいる。

 よく見ると薄暗い足下には、スコッチやワインの空瓶が転がり、黒い塗装が剥げたベースギター、暗い焦げ茶の箱形アンプが、光の差さない暗闇に紛れ込んでいる。

 母屋の物置や書斎に入ると、四角張った振り子時計や白磁器、小箪笥や銀メッキの水差などが所狭しと並ぶ。これらを集め所有していたのは、有り金を骨董につぎ込み、次第に生活力を失っていった父である。

 正三の家では、僅かな店の売り上げと、澄枝の夜のパート稼ぎが頼りで、その生活はいつも困窮していた。

   つづく・・・

2009年11月13日


信州の建築家ノート


柏の葉が綺麗です。

今頃が紅葉の盛りですが、これから先は
少しずつしおれていくのでしょう。

落ち葉を集めて焼き芋をする季節になってき
ました。

今年も余すところ2ヶ月を割りこんで参り
ました。


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私の小説・戦う住宅より

ある彫刻家の決意~
        理想の住まいとの戦い


 父の富松は、留学から帰っても家に閉じこもりっぱなしで、無為に酒に溺れる息子を、ただのぐうたらだと決めつけた。しかし正三にしてみれば、彫刻の制作は、父の道楽よりはずっと崇高なものだという自負があった。

 父に何と言われようが、逆にこれが手前勝手な父への反発となり、皮肉にも創作意欲の支えをなした。ところが父が他界すると、こんどは妙にあたりが空虚になり、しんみりと穴が空いたようで創作意欲が湧かない。

 ところがしばらくの間、身が入らずモンモンとしていたある時、骨董の中に円空の仏像を見た。鉈(なた)による荒削りながら、無駄のない素朴なこの仏像に正三はすっかり魅せられた。

  これが正三と正三の家の風景だった・・・

 一方、木下のアトリエは、大社の大鳥居近くにあった。蔵を改造した吹き抜けの壁には、2階の天井まで届きそうな作品が幾つか木枠に貼られ立てかけてあった。キャンバスなどの画材やカメラ、古びた箱形スピーカーに囲まれて、使い古した黒い鉄の薪ストーブがあった。

 木下の絵は、白い特殊な顔料をベースにした油彩で、大小の刷毛や筆を使い分けて描く色彩からは、いろいろな形態や模様が現れ出る。様々な絵の具があたり一面に飛び散り、この床全体がまるでJ・ポロックの抽象画の様だった。

 正三は家の建て替えにあたり、一階の骨董店に接続して母親の食堂とキッチンと水回りを作ろうと考えた。母は、夫が残した古物に囲まれて商売するのが好きだが、これらを思い切って整理し、価値のありそうな物だけを残す事にした。箪笥や磁器には、買い手にも分かりやすい様に売値札を付けることにした。

 店に接続した母屋は、こじんまりとしたロフトの付いた二階建が良かろう。自分の寝室はその二階に設け、玄関は別にして、ダイニングキッチンと寝室を繋げ、二階の上部には将来の子供室や書斎などを配置するのが望ましいのではないか、これでいくと延べ四十坪以上になるだろう。
 
 正三は、自分の使っているアトリエは取り壊し、母屋と店舗と新しいアトリエは廊下で繋げ、もう一棟の古いレンガの倉庫は残したいと思った。

 五月の真紅のツツジが満開の頃、正三は木下に勧められるまま、出雲大社の裏手の井上の事務所を訪ねた。色白で頭のてっぺんが薄くなった井上は、丸い顔の頬を膨らめてにこにこしながら、待ってましたと応接のソファーに迎えてくれた。

 手伝いのショートカットの若い女性が素早く緑茶を出してくれた。井上はしばらくソファーに腰を沈め、正三の断片のように途切れがちな話を聞いていた。

 そのうち正三の敷地の一部が他人名義だと知り、そう言うことでしたらその土地を使ってもいいという承諾書を、地主からもらってください、そうでないと家が建ちませんからと言った。

 無断で土地を占拠し続けたのでは地主に対して誤解を生むからだ。

 それから井上は、せっかく訪ねてくれた正三に地中海の村々の写真や、家の設計図や模型、スケッチなどを披露した。正三はそういうものを見せられても改まって感想を言うでもなく、ただ黙って見ているだけだった。

 正三は、口数が少ないのは生来の性分で、ソファーに沈黙したままで井上の説明を窺っていたが、しばらくしてから、
 「承諾書のことは、よくわかりました。」と伝え、
 「その前に井上さん・・今日の話からだども・・、あなたの考えを見せてごさんかね。」と言った。

 井上は即座に承知した。

 井上からは早速これに応えるかのように、白い壁と赤い瓦屋根の外観、ムクの木を豊富に使ったイメージパースが郵送された。

 同封の手紙には、建物を三階建にすると、室内を燃えない建材にすること、火事の時に一階に避難するための階段が必要だという説明があった。それに、木造といえども構造計算の裏付けがいると記してあった。

 ところがその翌日、井上の事務所の留守番電話に錦織正三からの伝言が入っていた。それは、
 「家のことは白紙にしてごさんかね。」という内容だった。

 「おいおい、いったいどうしたっていうんだ・・・そんなことが・・・いくら何でも余りに早すぎるじゃあないか・・・」井上は、伝言の意味がよく理解できず、白紙にする理由も飲み込めなかった。すぐさま彼は木下のアトリエに行って理由を正した。

 そこで木下は意外なことを口にした・・・・


   つづく・・・


2009年11月16日


私のYチェアー


私の事務所のYチェアーを紹介します。

この椅子は数年前に購入したモノですが、
座り心地が良くたいそう重宝しています。

事務所には4脚用意しております。

台座は紙をよったものを編んでいます。

この椅子のいいところは、フレームの接合
部分が丈夫に出来ているので、長年使って
も緩んできしむようなことがないところ。

いかがでしょう、購入されては・・・


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2009年11月19日


梶井基次郎について


たまたま「Book Of」で梶井基次郎の文庫本
を買った。

「檸檬」れもん、というタイトルであった。

梶井は早世の作家だが、彼の作品には私小説
的なものが多く、自らの病気(肺結核)を題
材にしている事が多い。

また、志賀直哉の影響を強く受けていると思
う。

「檸檬」より~
私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人
知らないような市へ行ってしまいたかった。
第一に安静。がらんとした旅館の一室。
清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた
浴衣。其処で一ヶ月程何も思わず横になりたい。
希わくは此処が何時の間にかその市になってい
るのだったら。・・・


細かな自然描写、人物描写が美しいと感ずる
のは私だけではないだろうと思う。

2009年11月23日


きょうの事務所からの風景


秋も深まり、落ち葉も毎日ハラハラと地上を
覆います。

今日の事務所からの風景はどうだろう・・・

久しぶりに屋上から写真を撮影しました。


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隣の教会の鉄骨3階建ての建物なんですが、この木のお陰で
景観が損なわれずに、なんとか街路の風景が保たれています。
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北方面の景色。このケヤキは樹齢が数百年のものです。
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きょうの八ヶ岳。頂上付近は雪化粧していますが、諏訪盆地でも
このところ氷点下スレスレです。
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南方面の風景。最近になって建物が増えてきました。
瓦屋根は、私の家の蔵。

2009年11月26日


11月も残り少なくなって・・・


落ち葉舞い散る停車場で・・・ではありませんが、

何やら、更けゆく秋の夜・・・を感じながら60才
のこれからの行き先を想うこの頃。

50代ではそんなに感じなかったのですが、やはり
60代ともなりますと、どことなく、どこまでやれ
るかなどとつまらぬことを考えてしまう。

いろいろなモノを残しておいても仕方ない、そろそ
ろ今までの反省に立ち、これからの計画を練り直そ
う・・・モノを整理しよう、などと考える・・・

読まない本はかたづける、要らない道具もかたづけ
る、壊れた暖房機もかたづける・・・ということに
しようか・・・

そういえば自分の畑があるから、来年からはなにか
作ろうかなと思っているのですが、なにか知恵があ
りましたら教えていただきたい・・・。

畑は痩せているから、栄養を補給しなければ・・・

自分も栄養不足にならないようにしなければ・・・

2009年11月29日


タニウツギの紅葉


自邸のタニウツギの葉が黄色く紅葉していた。

他の草木は殆ど枯れるか、葉を枯らすか、葉を
落とすかしていて、12月が間近に迫った気配
が感じられる。

既に、来春に向けてつぼみもしっかり付いてい
る様だ。


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2009年11月30日


信州の建築家ノート


カリンの木の葉が辛うじて残っていた。

植えてから5年ぐらいになるが、まだ
果実が実ったことがない。

何時になったらカリンの実が拝めるか・・・


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私の小説・戦う住宅より~

彫刻家の決心

 「そうか、錦織は白紙にしてごせ言っとったかね・・・理由は、きっとあのことかもっせん。実は彼には恨まれとる。彼は、僕のしでかしたことを許さないんだども・・・

 実はあのころ、妻の浪江のことでむしゃくしゃしてたから、悪いとは思ったが彼の、二十㎝くらいの「夕月」という若い裸婦を、結婚式の余興の景品に無断で使ったんだ。たしか五体鋳造した。ただ、銅製の彫刻は重いから贈答品のカタログに載せるのは断られたんだ。

 そのあと、ある新人議員のパーティーで「夕月」を記念品にしたんだが・・・まあ、ここまでは許されるが、あとがいけんかったか。」

 井上はここで一言、口を挟もうと思ったが、それを遮る術もなく木下は早口で続けた。
 
 「アメリカじゃあ、いまどきチフーリとかF・ステラのようなのが好まれるが、錦織のはロダンかブールデル。たとえ才能があっても、ああいう作品には美術商がつかん。

 それで、こんどは「闇夜」という銅製の梟の彫刻を、ニューヨークの知り合いの画廊に持っていったわね。あれは確か五番街の「ブルーナイト」という店だ。レオナルド・タカっていう人がオーナーで、彼は摩天楼近くのビルから飛び降りて頭から地面に突っ込んだが、かすり傷で済んだから、「不死身のバード」って言われてた。

 当時アメリカではベトナム帰りがLSDやってて、彼もそれに手を出して空中遊泳でもするつもりだったか。」と木下は言い、話がもう一つ読めない様子の井上に申し訳なさそうに煎餅と茶を勧めた。

 そして木下は、煎餅を口に入れくしゃくしゃやりながら、
 「ところが、肝心の彫刻なんだが、タカが入院した後になって、その画廊からいつの間にかどこかに消えちゃったんだ。それで錦織はたいそう憤慨したんだけんなー。」とこんどは済まなさそうにボリボリ頭を掻いた。

 「黙ってやったのはよくないよ、そりゃあ、誰だって怒るに決まってる、その彫刻は君の物じゃあないんだから責められるのは当たり前だろう・・・それにしても君はずいぶんと大胆なことをするんだなあ、知らない間にそんなことをしていたのか・・・」と井上が額にしわを寄せながらやや押し出し気味に不満を挟むと、

 「僕は錦織が家を計画しているのは知っとった。だから錦織を君に紹介したのはえだども、どうやら彼のふくれっ面の時期と合い過ぎたな・・・彼のことだから、また僕が何か企んでいると思って警戒したんじゃあなかっただらか、いやーすまん、とんだ苦労かけた。そのうちまたおごるけん、そんなに気にしないでなー。」と言い、木下の話はこれで終わった。

 井上は、事務所への帰途の道すがら、
 「あいつ、旅行三昧のあげくに見くだり半にされた浪江さんとのことや、家の修繕なんかで一文無しになってしまって、相当いらついてたんだろうが、自分は凹んでも、関係のない錦織を傷つけてまで、彼の作品を使って儲けようとしたのはどうも頂けん。

 芸術家にとっては、プライドと食い扶持はそう易々と秤に架けられんだろうし、いくら生活が困っても、無碍に作品を切り売りされちゃあ、かなわんということだろう。なんだかこの世界も難しいもんだ。」と思った。

 それは一瞬のうちに風神が襲来し、竜巻でグルグル振り回された挙げ句、いきなり懐疑の深淵に投げ出されたような気分だった。

 そもそも正三が、井上を信じなかったのは、木下が井上を抱き込み、何かを企らんでいるという先入観があったからだ。それはそうやすやすとは拭いきれるものではないが、なんともかんともこれでは情けない。

   つづく・・・
 

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