紅葉が美しいこの頃・・・
白樺の葉もイチョウの葉も黄色く色づいて今が一番
美しいときかも・・・
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私の小説・戦う住宅より
ある彫刻家の決意~
理想の住まいとの戦い
ママは色白で小柄で澄んだ瞳に寂しげな憂いを漂わせていた。
常連達は、あたかも白い蘭に群がるミツバチのようだった。木下も井上も、同じように飲み過ぎてはカウンターに顔を埋め、そういう時は決まって、「朝だよ、メキシコに太陽が昇ったよ。」などとママに耳元でささやかれ、じんわりと甘い息をうなじに感じて、はっと我に返るのだった。
正三の生家は、戦後、父の富松が始めた骨董店を母の澄枝が継ぎ、土産物も売っていた。家と店は四十年ほど前に父が建てた。それらは既にかなり老朽化し基礎はヒビだらけだった。土台はあちこち腐り屋根は所々で雨漏りもしていた。
敷地は、おおよそ三分の二程度が自分の所有で残りは借地だった。そこには店と母屋の他に仮設小屋のような正三のアトリエと古い手つかずのレンガの倉庫の合わせて四棟があった。
正三は中背で痩せていて、群青のジーンズがよく似合った。苦学して美術大学の彫刻科を出て、国からの奨学金でパリに半年ほど留学した経験があった。
家の計画を思いついたのは彼がちょうど三十歳の時だった。
彼はエレキのベースギターを学生時代からやっていて、時々地元の小バンドに出て共演することもあった。だが、人見知りが過ぎてなかなかバンド仲間に馴染めなかった。
彫刻家は、小型の青い車を大事にしていた。その車のマフラーやドアの内側は長年乗り回したせいか相当に傷んでいた。彼はこの車の計器類の間に自分で作った小さな銅の蜥蜴(とかげ)の彫刻を嵌め込み悦に浸っていた。この蜥蜴はグロテスクでまるで生きているようだった。
彼のアトリエには、芯になる針金の上に、粘土が少し被せられた彫刻、或いは完成に近いと思われる若い女性像の作品があった。床には粘土の破片、石膏、針金などが散らばり、粘土をこねる幅広の薄板や幅の狭いへらなどが、隅の方に無造作に重ねられていた。
上半身の石膏像が背丈よりやや高めの棚の上に数体並び、そのすぐ下の大きめの窓からは、サルスベリのある庭の奥が見え、その木の根本にはふきが群生し広がっていた。その庭の生け垣の向こうには、古い赤茶色のレンガの倉庫がたたずんでいる。
よく見ると薄暗い足下には、スコッチやワインの空瓶が転がり、黒い塗装が剥げたベースギター、暗い焦げ茶の箱形アンプが、光の差さない暗闇に紛れ込んでいる。
母屋の物置や書斎に入ると、四角張った振り子時計や白磁器、小箪笥や銀メッキの水差などが所狭しと並ぶ。これらを集め所有していたのは、有り金を骨董につぎ込み、次第に生活力を失っていった父である。
正三の家では、僅かな店の売り上げと、澄枝の夜のパート稼ぎが頼りで、その生活はいつも困窮していた。
つづく・・・
