2009年12月 アーカイブ

2009年12月02日


もう12月だって・・・


12月になってしまった。
忙しい月になったものだ、なんだかせわしさがつのる。

家づくりの会のコメントに年賀状にクリスマスにタイヤ
交換に・・・

なんだかんだとやらなければならない事が重なる。

2009年12月04日


早朝の光りと空気


朝日が差し込むと、草の表面が光って見えます。

この瞬間はなかなか美しい、12月の空気がただ
よっています。


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2009年12月07日


信州の建築家ノート


今日は朝の気温が氷点下だった。
干し物を干すにも凍ってしまう
季節がいよいよやってきた。

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私の小説・戦う住宅より~

 彫刻家の決意~

・・・正三と木下の関係・・・
 
 それは初夏の緑が初々しい季節だった。井上の事務所を訪ねたのは、スラッとした細身のYだった。Yは井上の友人の建築家だ。彼は、いつもの窓際のお気に入りの深椅子に座るや、
 「錦織さんとは、上手くやってる?」と窓辺の青々とした木々からこぼれ落ちる日差しを背に、出し抜けに聞いた。

 井上は前触れもなく話が正三に及んだので一瞬とまどったが、

 「ああ、彼は先日僕の所に来た、たぶん画家の木下に堰かされてね・・・話は家の建て替えだったが、殆ど喋らないしヘンだったんで、あとで木下に聞いたら、「ほほう、錦織のやつよくもまあ君に会いに行ったな、さぞかし僕のことを怒ってたろう。」って言ってた。

 木下は錦織の興味の目先を建築の設計や模型なんかに向けさせて置けば、なくした作品の事なんかすぐに忘れるに相違ない、とでも思ってるんだから・・・木下は目ざといから、錦織の性格を見超して、きっとカムフラージュのつもりで僕に会わせたのさ。」と井上は言った。 

 「そりゃあきっと、錦織さんは怒ってたっていうより、惑わされたんじゃないのか?それにしても木下さんは人を食ったような妙な人だなあ」
 
 「そう、木下は、他人の作品をありったけこき下ろす。まあ、それはそれでいいんだが、画商気取りで、ブローカーまがいに人の作品に手を出すから面倒になる。
 しかし、錦織はそれでも木下を頼りにしてるんだ、どこかけなげなんだよ彼は・・・親父さんを亡くしてから特にねえ・・・あの時もなにか胸につっかえとったから気にはなったんだが、それにしても、そのあとの錦織の断りの電話が、余りにも早くて驚いたよ」と言った。

 「ええ?・・何とまあ、そうだったの・・・しかし、それは君が原因じゃあないな、たぶんそれには何か他に理由があったんだろう」

 「そうなんだ、実は、木下ったら、作品をなくした上に、売り上げまで借金のカタに取られたらしい、それは後になって分かったんだが、そういうことをやってたから、仕舞いには錦織の怒りに火が付いちゃったんだよ・・・

 白紙にしたいっていうポーズを見せたのも、これはいわば逆襲の狼煙のようなモンなんだ。錦織にとってみればこんな調子で木下を放っておいたら、何をしでかすか分からんから、建築は後回しにしてでも、一発、木下を気が済むまで糾弾したかったんだろう」と、井上は床に映る木立の影を見ながらつぶやくように言った。

 窓の外は、黒松やイチイなどの常緑樹の林で、日差しを遮るくらい低く垂れ込んだ枝が縦横に入り組んで深い影を落としていた・・・
 
 私は、正三と井上のやりとりについては、おおよそ正三からのセピアインクでしたためられた丁寧な手紙で知った。
 
 また、木下の絵については、それはあたかも風や水のような現象をモチーフにした抽象画で、花園のようでもあり、珊瑚の海や虹の幻想のようにも見える色鮮やかなものだと聞いていた。

 だが、その時は木下の絵を見ていないにも関わらず、私の空想は勝手にどんどん膨らみ、「何ができるかって・・そりゃあ、やってみなけりゃわからない。」という木下の作品を直ぐにでも見たいという欲望が、渦を巻いて吹き上げてくるのを感じていた。

 正三には、木下の作風は自由で奔放だと映る。これは確かなことだ。だが、正三の作品を無くしたり勝手に売ろうという独断は、名状し難い裏切り行為と捉えられる。だからといって正三は、木下に対し実力行使に訴える訳でもない。私は、もしやこの静謐さは寡黙な出雲の血の為せる技かもしれないと思った。

 正三は、殆ど毎日が粘土を針金の芯に盛り上げては壊すという、いわば創造と挫折の繰り返しだった。これは、その時の対象への感じ方がいつも異なり、過去を消去したり、あるいは零にしなければそこには何も生じないからなのだろうか・・・

 彼は、暗黒の中にかすかに見えては消える形を、無垢なる手と純真に漂白された頭脳で自分のスタイルに結びつけようとするのだが、それも思うに叶わず自信が見いだせないばかりにただ暗澹(あんたん)としていたのである。
 
 正三と私は、松江の個展以来文通していて、互いに心の内を文に吐露していた。彼とは殆ど歳の差がないせいか、どこか気心が通ずる仲になっていた。


   つづく・・・

2009年12月09日


こんな和室どうでしょう


今日はなんだか曇り空になってきました。

先日伺ったお宅の和室の床の間に掛け軸が
ありました。(私の設計ですが)

これがなかなか優れもので、紅葉をあしら
った和紙で出来ていました。

書や風水画もいいですが、こういう掛け軸
も合いますね。


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2009年12月11日


こんな洗面台はどうでしょう


ガラスの洗面台ってのもいいですよ、
これは即ち、シンプル=ベストっていうところで
しょうか。

コンセント、鏡、洗面ボールなどに工夫をこらし
ました。

カウンターのガラスは強化ガラスで、15ミリ
あるんです。


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2009年12月14日


こんな浴室はどうでしょう


掛け流しの温泉のある住宅の浴室です。

温泉は常時流れているので、蛇口を浴槽の
フタに穴をあけてそこに差し入れ、24時間
排水しています。

浴槽の蓋はサワラで出来ています。

壁は150角のタイル、床と浴槽は丸形の
モザイクタイルを張っています。


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2009年12月17日


こんな照明はどうでしょう


照明は、部屋の雰囲気を引き立てます。

機会があればですが、和紙と真鍮のフレーム
による照明をデザインをすることがあります。

和室は特にこのような照明が合います。

どうですか、いかがでしょう。


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2009年12月21日


信州の建築家ノート


可動ハシゴというのも便利なモノです。

普段は壁にぺったりで、使うときは斜
めに引き出して使う。


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ディテールは簡単。普段は写真の最下段の丸いフックを
上部の柱から手前に突き出た、そで木のあごのへこみに
引っかけておくだけです。使うときは、最上部の丸い
フックを同じようにそで木のあごにかけます。


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私の小説・戦う住宅より~

 彫刻家の決意~


・・それは正三の個展から数年後の、ある晩秋の土曜の夕暮れ時であった・・・
 
 私は、ふと思い立ち、観光客が去り閑散とした脇道筋にある正三の家を訪ねた。その時は、手紙の文面にも記されていた正三と木下の葛藤が、もっと危うくなっていはしないかと思い気をもんでいたからだ。それに木下の絵を見たい気持も強かった。

 だが出雲に来た目的は他にもあった。それは、出雲大社の大鳥居から、松並木の参道までの参拝者を増やし、もともとそこにあった賑やかな商店街を復活し、ここに潜在する活気を生み出したいという想いだった。その為にはまず二、三日ここに留まり、現状を把握し分析することであった。

 私は、正三の鉄のフレームが露出した仮設のような古びたアトリエに通されると、
 「錦織さん、あなたからの手紙は拝見してましたが、元気そうでなによりじゃない・・・」と言い、しばらくの間、
 「ほほう、いろいろやってますねえ・・・」などと口にしながら、制作中の作品が並ぶアトリエのぐるりを眺めまわった。

そして、
 「そういえば、頂いた手紙には木下さんに振り回されてるって書いてあったみたいだけど、このごろどうなの?なんだか気になったもんでね」と、挨拶も早々に木下との間合いを探りにかかった。

 正三は私の訪問に心を良くしたのか、最初はそのことに触れず、
 「どうも、まあ、遠い所まで足を運んでいただいて恐縮です・・手紙もいいですが、こうして会えるのも嬉しいモンですね、ええと、松江からだと車で一時間くらいかな・・」と言い、沸いたばかりの熱いコーヒーを入れてくれた。

 私がコーヒーを頂戴しようと手を伸ばすと、正三はすぐに思い出したように、
 「さて・・・その話なんですが・・実は先日の手紙にも書きましたが、木下さんのああいう・・アンフォルメルな・・というか、こだわらない表現には興味はあるし、見聞の広さやスケッチの多さにも尊敬を払ってるんです・・・

 ただ、これは芸術とは関係ないが・・・木下さんには、なにか得体のしれないところがある・・・

 それが彼の貧乏暮らしのはけ口か社会貢献かなにかだとしても、僕はなんだか知らない場所で自分の作品が勝手に利用されてるみたいで・・・何を考えているんだか分からない所がどうも気になるんだ」と眉間にしわを寄せて言った。

 それから後、正三が一息ついたので、私は、
 「そうですか、最近では木下さん、どこへ作品を持って行ったんですか」と聞いてみた。
 
 すると、正三は白いペンキがはげ、錆が出たアトリエの天井の継ぎ目のような所を見上げながら、
 「あれは、たしか広島にある中国産の食品輸入会社で、ええと・・・」と、その名前を思い出そうとして間があいた。だが、彼は、そんなものはどうでもいいと言わんばかりに、 
 「だいたい誰があんな胡散臭い会社に持ってくもんねか、僕に断りも無しに。彫刻ってそういうもんじゃないだろが・・・自分勝手も度が過ぎるんだあの人は・・・そもそも何を考えてるかワカランところが、じれったい・・・」と今度は窓の外をにらんで興奮し出した。

 「ほう、中国産の食品の会社かあ、そう、でも木下さんはあなたの作品を認めてるんですよ、何とかして世に売り出そうとしているんですよ」

 「それは僕にも分からないわけじゃあないが、作品を売り込むとかなんとか言って・・・どういうつもりか知らんが、その先がいつもはっきりしない闇の中だから困る・・・
 それでも僕は、作品のことは後回しにして、家のことを木下さんに相談したら、話もよく聞かんで、そこへ行って見ろ、行って見ろってしつこく井上さんを薦めるんで、ちょっと迷ったけども訪ねてみようかって・・僕は知らんかったが、建築の設計ってナイーブでおべたわ(驚きました)」と正三はまた冷静な表情に戻った。
 
 私はこの時正三と話をしてみて、彼が木下を思っていた程に毛嫌いせず、そんなに遠ざけてもいないと感じ寧ろ安堵した。その訳は、私がそのあとで初めて木下の作品を見、そこに強い印象を持ったからだった。

 たしかその話のあと、正三の家の庭隅にある大きな古いレンガの倉庫の木の扉を開けてもらって、恐る恐る中を覗いてみた。そこはかなり暗かったし、骨董のような物がぎっしり詰まっていて埃だらけだった。手紙には、たぶん庭の隅の気になる倉庫だと書いてあったが、ここがその場所だったのかと合点がいった。

 それから、その日は正三に導かれて木下のアトリエを訪ねた。木下はそこにいたが、あたかも崩れ落ちそうな危なげな深い井戸に導かれるように、強い酒をあおっていた。
 
 我々に何か話しかけようとしたのだが、青白い顔の窪んだ目がうつろで、殆どろれつが回らなかった。彼が何を言おうとしているのか、私にはよく理解できなかった。木下はどこか体を病んでいるようだった。
 
 しかし、アトリエで目にした木下の絵は、それとはうらはらに、いままで数十年にわたり地球の各地に足を運び、心に焼き付けた世界の風景の織りなす、色彩の移ろいや印象が根幹になっているせいか、どこか吸い込まれそうな力強い説得力を持っていた。

 正三の言っていた意味が、私には瞬時に理解できた。私はこの絵を見てショックを受け、無意識に張り巡らされていた緊張の糸が解け、自分の気負いのようなものがサーと癒されていくのを感じた。そしてまた、この大きな色彩の広がりが、この場所ではなくもっとどこか衆目の存する公の場にでも掲げられないものかと思った。


   つづく・・・

2009年12月24日


こんなステンドグラスはどうでしょう


ドアーに、窓に、室内にステンドグラス。

チョットしたアイデアで自在なデザインが
可能です。

小さなモノでも工夫次第で、暮らしに潤い
を演出できます


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2009年12月26日


信州の建築家ノート


・・寝室・・


寝室は、体力を回復し明日へのエネルギーを
蓄えるところです。

洋間であれ和室であれ、ここには静かなしつらえ
があればうれしい、睡眠を楽しもうではありませ
んか・・・


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私の小説・戦う住宅より~

 彫刻家の決意~

・・・舞子との遭遇・・・
 
・・・それは、夏の日差しが眩しい昼さがりのことであった・・・
 
 その日は数日来の晴天続きで蒸し暑かった。正三は、居間の窓を開けっ放しにして、レースのカーテンを半分ほど閉め、うつらうつら昼寝をしていると、そこへ突然大きな麦わら帽子をかぶり軽い身なりをした、若くて背の高い女が訪ねてきた。

 女は、正三が寝ぼけ眼で、フラッと玄関に現われるや、まるでわっと堰をきったかのように、
 「初めまして、私、舞子ウイリアムズといいます。あなたが錦織さんですか?・・・わーやっと会えたわ・・・嬉しい・・・」と全身を喜びで振るわせるように言い、さらに、
 「あのー・・・他でもないんですが・・・私、私をあなたの弟子にしてくれませんか」と畳みかけてきた。

 そして、舞子は錦織の視線を釘付けにさせたまま、今度はまるで藪から棒の小次郎のツバメ返しのように、 
 「それで・・・私をここに置いてほしいんです、ね、いいでしょう?」と無理矢理ねじ込んできた。

 正三は、こういう降って湧いたような強引な押し出しに、
 「うーん・・・それは・・・なんとも・・・」と唸るのが精一杯で、見慣れない物に驚いた島フクロウのようなまん丸い目に顔の筋肉を引きつらせたまま、モグモグするばかりだったが、それでも、
 「あなたはどうしてまた、急にそんなことを考えたんだ」と聞いた。

 すると、舞子は、
 「数年前に東京の友人の結婚式であなたの「夕月」をいただいてすごく感激したんです。だから・・・それ以来ずっとここに来ることばかり考えてました」と言った。

 正三は、そういういきさつを無碍にも出来ず、
 「僕は弟子は取らないから、諦めて東京に帰ってくれ」と追い払う訳にもいかず、自分の分身のような「夕月」の知るよしもない旅路について、しばらく女に目を遣りながらあれこれ想いを巡らしたのであった。

 舞子は、正三が自分と「夕月」の巡り合わせに得心して、思わず表情を緩めたのを見計らい、
 「私、ブランクーシなんかも好きだし、自分でも彫刻を作ります。父はイギリス人で外交官だからニューヨークで育ったんだけど、ニューヨークに居たときはグリニッジビレッジで黒人のミュージシャンにサキソフォンを習ったんですよ」と言い、 
 「ちょうど一週間前に東京の会社を辞めたばかりで、今は失業中なんです」と弁解した。

 どうりでエキゾチックな目鼻立ちだと思った正三は、
 「よくもまあこんな物好きがいるもんだ・・それにしても、こんな若い女が僕の彫刻に感激してここまで来たとは・・・まあ、彼女の話もまんざら不愉快でもないが、世の中、どこでどう繋がってるのか分からん、しかし妙な事があるもんだ」と思った。


   つづく・・・

2009年12月28日


諏訪湖の主役たち


さてさて、

いました、いました、いっぱいいました。
小白鳥にマガモにコガモにカルガモに・・・

諏訪湖の餌場に集まった面々・・・
まだ氷は張っていませんが、彼らを観察
しているだけで時を忘れます。


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2009年12月31日


どうもありがとうございました。


本年もとうとう今日で終わりになってしまいました。

皆様、この一年間、私のHPをご高覧頂きどうもあり
がとうございました。

皆様におかれましては、今年はいかがでしたか・・

今年は政権も変わりましたので、役所への建築の手続
きにつきましても、来年あたりから簡略化されると期
待しております。

何れにしましても、皆様にはご健勝で、良いお年を!

来年もまた精一杯努力し、良い建築を造りたいと思い
ますので、どうか宜しくお願い申しあげます。

笠原 顕司

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