八月の関西
7月29日の京都は雨でした。
京都といえば金閣寺というわけでもないのですが、
雨の金閣寺は風情がありました。庭の苔がきれいで、
雨露に光っておりました。
30日は大阪と神戸に行きましたが、そのお話しは、
また明日かその次の日か・・・
7月29日の京都は雨でした。
京都といえば金閣寺というわけでもないのですが、
雨の金閣寺は風情がありました。庭の苔がきれいで、
雨露に光っておりました。
30日は大阪と神戸に行きましたが、そのお話しは、
また明日かその次の日か・・・
四条河原町のおもての表情もいいですが、
こういう裏路地の景色もなかなか・・
ちょっと一杯やりたくなるような・・・
京都風な店の連なりに路面の石のデザイン
が洒落てます。
真夏の大阪は暑い、暑い。
アーケードのある心斎橋筋は涼しいですが、
一歩外に出て日差しを浴びるとめまいがしそう
でした。
道頓堀に架かる戎橋(えびすばし)の界隈では、
デカプリオの大きな看板が、
あたりを圧倒していましたが、どっこい、あの
グリコの看板も堂々として健在でした。
岡谷市の照光寺で開催されている長崎展を見た。
昭和20年8月9日の午前11時の長崎の惨禍
を伝える写真は、余りにもショッキングであっ
た。
言葉では言い尽くせない、こういう核の悲劇を
人類が繰り返してはならないことは勿論である。
被爆二世の長崎の陶芸家、右近氏による被爆体
験者の体験談朗読も忘れることが出来ない。
それは、いわば市民の日常生活を一瞬にして奪
ってしまうという暴挙そのものであった。
今年の広島平和公園での平和式典には、米、英、
仏の代表が出席した。
65年を過ぎたいまこそ、核廃絶への一歩を確
かなものにしたい。
今日は一日中曇り空だった。
朝方の諏訪湖はこんな具合。
こういう天気では、富士山が見えるはずもないのだが・・・
最近、水草が増えてきた、早い裡に除去しないと増殖が止まらないだろう。
諏訪湖から山沿いの遠方に中央道長野線が見える。
毎年、今日のこの日は太鼓祭りの紹介です。
太鼓祭りも年々有名になっているようですが、
こうやって見物しているよりも、ステージの
上で揃い太鼓をたたいている方が爽快という
ものではないでしょうか・・・
太鼓連の皆様、ご苦労様です・・・
写真には御輿が写っています。
家族で岡谷の花火を見に行った。
15日の諏訪の花火に較べれば、規模も小さく
時間も短いが、近くで見るのもいいものだ。
岡谷の花火は、灯籠流しの行事も兼ねているか
ら、たぶん、こんなアンバイになるのだろう・・・
毎年のことですが、夏もお盆を過ぎる頃になると、
庭の蝉が一斉に鳴き競います。(そのように聞こ
えるのですが・・・)
特にミンミンゼミは、ウメやリンゴの木で、行く
夏を惜しむように懸命に胴体を振るわせています。
だから、蝉が鳴いている時だけは、そっとしてお
いて、なるべく近づかないようにしています。
いくら懸命に鳴いているように見えても、僅かな
足音ですぐに逃げ去ってしまうから・・・
7年間は土の中、そして地上に出れば僅か1週間の
はかない命。
サルスベリは、開花時間が長いところが嬉しい。
我が家の花は、こういう薄いピンクだが、隣近所
を歩いてみると、白いのやもうチョット濃いピン
クの花を付けていたりするのがあって、これらを
興味深く観察するのもいいもんだ。
我が家の百日紅は、去年の場合殆ど咲かなかった。
プルーンのほうは、数年間は実が付かなかった。
だから、
白い花が咲いた今年はさすがに驚いた。
もしかしたら実が付くかも知れないと思ったら、
幸いにもこんな具合に実が付き、しかも色づき始
めたではないか・・
もう少し熟して、赤ブドウのような色になるのを
楽しみにしている。
幹のようすもなんだかリンゴの木のようなアンバイに
なってきた・・・
百日紅には、いろんな色があるようだ。我が家のはこんな色具合。
プルーンももう少し色づけば収穫できそうだ。
夏の花の主役といえばヤッパリ、ヒマワリか・・
そういえば、こうやって写真に写すのは初めて
かもしれない・・
咲いているときも枯れ始めたときもそれぞれに
姿を変えつつ、あたかも畑の主のような存在感が
ある。
それは、この花が盛夏を挟んで永らく咲くゆえん
から、我々にそう感じさせているのかも・・
これらの花の実がこぼれ落ちて、来年の生育が
宜しければ、さぞや今年に増してにぎやかな風景
になりそうだ。
夏の風物詩とでもいえばいいのだが、昨日の夕立は
激しいモノだった。落雷もすごかった。
夏の夕方に襲う集中豪雨も長時間になると、どこも
かしこも雨水で満杯になり、行き場所が無くなって
溢れるわ溢れるわ・・
私に家の北側の塀の門扉の下から北側道路の雨水が流
れ込んでいる写真である。
このように、岡谷市は、ほぼ南の端にある諏訪湖に向
かって敷地高度(標高)が徐々に下って行くので、どこ
でも北側のレベルが高い分、こういうアンバイになる
のである。
それでも、家のまわりに防犯も兼ねて砂利を敷いたか
ら、雨水は床下に入らずに土壌に上手く浸透してくれ
ているようだ。
1964年、東京五輪の柔道無差別級で、神永昭夫を
破り優勝したオランダ人のアントン・ヘーシンク氏が
27日、オランダの病院で死去したという(76歳)。
ヘーシンク氏は、柔道が初めて採用された東京五輪
に出場し、決勝で神永昭夫氏を破ったあと、一時プロ
レスリングに参加したのを覚えている。
プロレスでは、あの巨体を利し柔道着のままで出場
した場面が思い出される。
ヘーシンク氏のプロレスは、あくまでも紳士的なス
タイルであって、それを決して崩そうとしなかった。
寝技に持ち込めば、どんな相手でも得意の蟹挟みなど
で圧倒したものだ。
ヘーシンク氏のご冥福を祈る。