きょうの諏訪湖は、ここ数日来の寒波でほぼ全面結氷していて、
氷の上には数㎝の雪が積もっていました。
湖岸を散歩をする人もちらほら・・・
珍しく、遠くには富士山が、うっすらと影のように姿を見せて
いました。



よくよく目をこらせば、山の谷間にうっすらと富士山が見えます。
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私の小説「戦う住宅」より
「改心」
谷村昭一は、現在に至るまで雷門の近くで六十数年の歳月を過ごしてきた。
思い起こせば十年前、彼の家族は、真新しく完成したばかりの、下町の自邸に住み始めたばかりだった。
昭一には古い友人も多く、此の辺をぶらつくのは彼の日課だ。暇さえあれば小太りで人なつっこい乾物屋の店主の安田などと、三社祭の御輿の準備具合や景気世話に花を咲かせるのである。
この男は四十半ばを過ぎても、毎日のように夜遊びや賭け事に明け暮れていた。苦労人の父、専五郎の経営する文房具を扱う雑貨店の奥の、金庫の小金やクレジットカードなどを持ち出し、近くの商店の若衆を連れては、銀座、有楽町界隈を始め新橋の場末のカラオケバーのあたりを飲み歩き、時には朝帰りもした。
昼間は府中の競馬場か船橋の競輪場、あるいは上野の麻雀荘で賭け麻雀をし、有り金をすっかり使い込むような有様だった。
そしてこういう遊びを続ける裡、銀座のはずれのモンローやその裏通りのカサ・ミラノなどに、いつしか飲み代のつけがたまっていった。さらに加えて、乾物屋の安田とは、こっそり本所の割烹茶屋、八洲屋などで、佃島の小菊や琴音という、若い芸者を呼んで、座敷遊びに興じた。
私が昭一のこういう明かされざる一面を知ったのは、「風来坊」で知り合ってから数年後のことだった。
私は、それまで昭一がこういう遊び人だとは知らなかった。物書き稼業には、それはたしかにハラハラ刺激的で、脚本展開に幅があり、味を深めるには都合が良い。しかし、最初から昭一のこういう放蕩を知っていたなら、飲み過ぎるなとか、体に気を付けろとか、家の資金をどうしろとかという、当人にはうるさがられるような忠告を惜しまなかったであろう。
そういえば、昭一は、三社祭や町内の祭事には小菊がちょくちょく来ると云っていた。
丸顔で色が白く目の大きい小菊は、濃い白塗りの化粧をおとし、祭りの手古舞姿を解き洋装になると別人に見える。私は、昭一が小菊に少なからず興味を抱いていることは、話の色合いから薄々と感じ取っていた。
小菊は、物腰が柔らかく、誰にでも愛想がよく世話好きなせいか、あちこちからお呼びがかかる売れっ子だった。青森県東津軽郡の出身で、幼少の頃から習った津軽三味線は玄人肌、津軽民謡も上手で、子供の頃、祖母に習ったさびが効いた歌い回しは、天性のものと聞く。
昭一は、華奢だが声は低くビブラートが効いて声量もある。夜毎の居所は、たいてい銀座のはずれの青や赤の薄明かりのネオン街の、部厚い木のドアを入ったステンドグラスの窓際か、長いカウンターの丸椅子かスポットライトを帯びたステージの上だ。そこで、ほろ酔い気分でデュエットのマイクを握ると、不思議にも接待嬢の薄幸そうな母性をくすぐるのである。
最初の裡は、いつでも賑やかで楽しい酒だ。しかし、いつしか夜が更け杯を重ね酒がまわるにつれ、彼の身体を覆っていた偽りの仮面が剥げ落ち、日常の束縛から逃れたいという欲望が徐々に顔を出す。
その正体が露出し始めた時はすでに遅い。操縦不能となった欲望は、昭一を周りの者の手に余る、酩酊の魔界という奈落へと引きずり込む。そして、このデカダンスの司祭達は、ズルズルと彼の記憶や意識や自由を奪う。これこそ逃れようのない底なし沼だ。
若い衆達は、厄介者を店から引きずり出し、彼の家の玄関に放り込む。だが、本人にはなんら記憶がない。しかもツケまわしで飲んでいる。それ故、カラオケバーのマダム達から、支払いの督促電話がかかり、時には昭一の店まで押し込んで来るのも無理はない。近い内に支払うと言われても、それが数ヶ月、半年もすると、彼らは黙っていない。
中でも新橋のバーのマダムは、日が暮れると決まって店に立ち現れ、イスに足を組んで、集金が済むまでたばこをプカプカ吸い続ける。厚化粧にまとわりつく煙を左右に払いのけ、への字の口に鬼瓦のような顔で、いっこうに帰る気配を見せない。
昭一も心得たもので、その時間になると、あたふたと神楽坂か新橋、佃島の花街界隈に消え失せる。彼は親父に飲み代を払わせるには、これが最良の策だと承知だ。困ったフミは借金取りが来たからといって、あわてて店を閉める訳にもいかず、図体の大きい専五郎を捜しまわる。
とりわけ世間体を気にする、生真面目な専五郎は、女衆に居座られるのが嫌で、苦り切った顔でぶつぶつ言いながら、息子の借金を返す。マダムはその金を奪い取るや、礼も言わずにそそくさ夜の闇に消える。とまあ、こういう風景が幾度となく繰り返されてきたのである。
そんな訳で、親父と息子のケンカが絶えたことがない。しかし、七十七の喜寿に手が届く街の顔役は、げんこつで昭一を追い回すのが精一杯。たいていは、大黒柱に向こう脛をぶつけるのが関の山である。
「泥棒猫のようなまねをしやがって・・・さてはひもでもやってると思いきや、俺のクレジットカードまで使ってつけ回ってたとはしらなんだ、今度捕まえたらひっぱたいてやる」専五郎は、まるでたこ入道のような顔に青筋を立て、分解しそうな断末魔の叫びを上げるのだが、すぐに咳き込み、へたり込むのがオチであった。
そんな専五郎を母親のフミはただ、はらはら、おろおろと見ているだけだ。昭一は、しばらくの間、親父から、おまえのような粗忽者は勘当だ、と厄介者呼ばわりされていたが、それから三年も経過すると、親不孝も花街あそびだけはやめて、少しは大人しくなった。ひと頃は、いっしょに遊び歩いた乾物屋の安田も、つき合いの悪くなった昭一が心配だった。
昭一は、その頃妙な夢を見た。夢に出てくるのは、最初はたいてい専五郎の艶のいいやかん頭だ。それが昭一の上に重くのし掛かり、
「懲りないやつめがこうしてやる」と、ささくれたような両手で肩を掴み揺すぶる。
その震えるような手からは容易く逃れられるが、こんどは五十路を過ぎたマダムが、眉間に皺を寄せ、いびつにかまえた柄杓顔で現れ出る。
マダムは、いつもは昭一の座るカウンター越しにいるが、飲み代を払わないで不意に退散しようとすると、こちら側に風のようにスルリと抜け出て、
「昭ちゃん、つけは借金返してからにして」と低く絞り出すような、身をすくませるようなかすれ声で迫ってくる。
ところがこのマダムに捕まったらもう逃げられない。マダムは昭一の体に毒針を突き立て、それからゆっくりと蛇のように身体に巻き付いてキリキリと絞り上げる。彼の体はずたずたに砕け、あまりの痛さに悲鳴を上げる。
やっとの思いでマダムから逃れるや、こんどは、風神が持つ白い大きな袋のようなものが、ヒューヒューと空気を孕んで追いかけてくる。それが行く手に立ちはだかり、昭一を頭から丸ごと強引に飲み込もうとする。
彼は、吸い込まれまいともがく。そこで昭一はハッと目が覚め、気がつけば胸のあたりを一筋の滴が垂れている。そして思わず、
「夢で良かった・・・」と放心したようにつぶやくのだった。
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嘗て谷村昭一が住んでいた家(三階建てのビル)は、鉄骨造だったが、一見するや、予算不足に無理をした感じで、何回も増改築を繰り返したような体裁をしていた。建ててから四十数年、物置あたりの柱は大分錆つき、地盤が悪い上に商店街の車の往来が多いので、その度に建物がグラグラ揺れた。
そこで彼は、魚屋や八百屋の紹介で構造専門の建築士に家の調査をしてもらった。その結果、基礎が軟弱で柱や梁が細く、鉄骨の錆は、建物全体に及んでいるということが分かった。そこで耐震補強をしてみたらどうかという話になった。
しかし、補強するにも限界があり、それをやったところで、基礎からやり直さない限り、危ないことに変わりはないと判明した。
私もまたときどき昭一から相談を受けたが、隅々まで調べてみると、鉄骨の溶接部分がむき出しになっていたり、腐食していたりしていたので、寿命が近いと判断し、昭一には建て替えを勧めた。昭一にとってみれば、新しいビルに建て直すにしても、具体的にどうするかという専門知識が有るわけでもない。
自分の頭の中には、あたかも闇夜か霧に覆われたようなスクリーンがあり、そこにおぼろげな輪郭が出没するだけである。
彼の家は、建てられた当時から紙類や事務用品、子供のお菓子や箒、半纏や足袋や祭りの腹掛けなどの生活雑貨を扱う店を構え、その時は両親と妹との四人暮らしだったが、十歳離れた妹は、既に千葉に嫁に行っていない。昭一は今の商売をやめて、一階をテナントにした四階の貸ビルとし、二、三、四階に住むことも考えていた。
「もし所帯を持つことんなりゃあ、玄関は二つか。うるさい親父と出入りが一緒は困るし、二、三、四階の上下で暮らすということか。まずはたこ親父を攻略し、危険な関係に終止符を打ち、資金援助をしてもらわなければラチもあかん」などと頭の中は止めどもなく揺れ動いていた。
その混乱は、もつれた鍵の山のようだった。それは、どの部屋の鍵をどこの鍵穴に差し込むべきかというような悩みであり、全体の規模をどうするかという迷いでもあった。
どうにもこうにもラチがあかず家の将来が見えない、困ったモンだ・・・このように家のことを朝から晩まで考えているだけで、四十肩が痩せた彼の肉体を責める。仕方がないので、ときどき深川のカイロプラクティックの整体師に治療してもらう。祭りの御輿も担げなくちゃあ・・・
彼は、新しいビルが出来たとしても、果たして銀行ローンの借金を返せるかどうか、それにテナントと住宅がくっついていては、さぞや騒々しいのではないかと心配だった。そのうち、ああでもない、こうでもないでは頭の整理がつかん、こういう時にこそ、専門家にアドバイスがもらえれば有難い・・・と考えるに至った。
続く・・・