2011年01月 アーカイブ

2011年01月03日


謹賀新年


あけましておめでとうございます。

皆様におかれましては、新しいお正月を迎え、い
かがお過ごしでしょうか。初詣などで、神社に参
拝された方もいらっしゃるのではないでしょうか・・

今年は厳しい1年になりそうですが、私達は、ひ
たすら優れた建築の提案をするために、今年もま
た粉骨邁進していく所存です。

グループ・ファイブ・・G5の活動も緒についた
ばかりですが、このグループとしては、今年から
は設計施工という形態で皆様のご希望に応えてい
きたいと思っております。

勿論、設計・監理という従来の姿勢も併せて進め
て参りたいと思います。

住みよくて飽きの来ない住宅、環境に優しい建築
を目指していきたいと思います。

本年もなにとぞ、宜しくお願い申しあげます。

笠原顕司建築創作所
信州設計集団・G5

tel: 0266-24-0467
fax: 0266-22-5992
Email: kasahara@ks21.jp

2011年01月06日


信州の建築家ノート


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今年は雪が少ないかな、と思っていたら昨夜来の雪が積もっていました。
諏訪地方は、北信地方にくらべれば比較的雪の量が少ないほうですが、
これからが一番寒い時期です。燃料費が嵩むのがこの時期。凍結防止帯
やヒーターがフル回転で家計を圧迫します。

雪景色もいいですが、朝起きたら家の中が氷点下でも困ります。

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   私の小説・戦う住宅より~
      「改心」


 私は、その頃、友人Tの経営する東京の建設会社の資材課に籍を置き、私鉄沿線にある倉庫で、鉄板やベニヤ、鉄管などの仮設資材の管理をしていた。
 
 早い話が、建築現場への資材の運搬を任されていたのである。
その職場は気楽で、暇があれば同僚と将棋やキャッチボールをしたものだ。だが、数年もすると肉体が利かなくなり、こんどは積算課に回り数字ばかりを眺めていた。
 
 ところが、いつのまにやら私の心の裡には、
 「何か作るには、図面が描けなくては・・・」という憧憬のようなものが沸いてきた。それが次第に増殖し、胸のあたりをかきむしった。ある日、私は、友人Tに、
 「武蔵野の設計事務所で図面を描きたい」と云った。
 
 それに対してTは、
 「おまえはもう若くはないんだから、そんなに早まってはいかん、少しは思い直せ、これまでろくな設計図を描いたことが無いのに、いまさら他へ移っても困るだけだ、図面を描くってそんなに簡単なモンじゃあない・・・」と慰留に及んだ。
 
 だが、私は彼の言葉を有難く飲みこんだ。
 
 転職した建築設計事務所は、Tが言った通り、作図のことを聞くと煙たがられた。仕方なく臨時雇いとして、朝から晩まで図面のトレースに励んだ。

 しかし、このままでは使い物にならないと悟り、夜間の製図学校に通い、我が子のような学生にエネルギーをもらい、途切れがちの頭の配線を繋げてもらった。
 
 お陰で滞っていた思考回路が再び息を吹き返し、しずしず鈍い音をたてて回りだした。それから二、三の事務所を渡り歩き、パソコンで作図を覚え、資格を取り建築事務所を始めた。
 
 さて、こういう私だが、いざ作家稼業に納ってからは、面白おかしく建築の摩訶不思議な世界を描きたくても、困ったことに昔の記憶が薄れるのが早いったらない。だから興味深い題材が転がっていた建設会社や設計事務所の頃が懐しい。

 続く・・・

2011年01月10日


諏訪湖の結氷


このところの寒さで、きょうの諏訪湖は下諏訪の岸辺の
あたりの一角がこのように氷ってました。
これからまだまだ寒くなりそうですが、氷点下10度以
下が3日ほど続けば、全面結氷になるかも・・・


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2011年01月12日


きょうの諏訪湖


氷点下の寒さが続いておりますが、諏訪湖は
まだまだ全面結氷しておりません。
飛来したコハクチョウは、氷の上を滑りながらサカナ
を漁っているようですが、氷が張ってしまうと、
人が餌をやらなければどうにもなりません。

寒さはこれからが本番。

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2011年01月17日


信州の建築家ノート


きょうの諏訪湖は、ここ数日来の寒波でほぼ全面結氷していて、
氷の上には数㎝の雪が積もっていました。
湖岸を散歩をする人もちらほら・・・

珍しく、遠くには富士山が、うっすらと影のように姿を見せて
いました。

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よくよく目をこらせば、山の谷間にうっすらと富士山が見えます。


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   私の小説「戦う住宅」より

        「改心」


 谷村昭一は、現在に至るまで雷門の近くで六十数年の歳月を過ごしてきた。

 思い起こせば十年前、彼の家族は、真新しく完成したばかりの、下町の自邸に住み始めたばかりだった。

 昭一には古い友人も多く、此の辺をぶらつくのは彼の日課だ。暇さえあれば小太りで人なつっこい乾物屋の店主の安田などと、三社祭の御輿の準備具合や景気世話に花を咲かせるのである。

 この男は四十半ばを過ぎても、毎日のように夜遊びや賭け事に明け暮れていた。苦労人の父、専五郎の経営する文房具を扱う雑貨店の奥の、金庫の小金やクレジットカードなどを持ち出し、近くの商店の若衆を連れては、銀座、有楽町界隈を始め新橋の場末のカラオケバーのあたりを飲み歩き、時には朝帰りもした。

 昼間は府中の競馬場か船橋の競輪場、あるいは上野の麻雀荘で賭け麻雀をし、有り金をすっかり使い込むような有様だった。

 そしてこういう遊びを続ける裡、銀座のはずれのモンローやその裏通りのカサ・ミラノなどに、いつしか飲み代のつけがたまっていった。さらに加えて、乾物屋の安田とは、こっそり本所の割烹茶屋、八洲屋などで、佃島の小菊や琴音という、若い芸者を呼んで、座敷遊びに興じた。

 私が昭一のこういう明かされざる一面を知ったのは、「風来坊」で知り合ってから数年後のことだった。

 私は、それまで昭一がこういう遊び人だとは知らなかった。物書き稼業には、それはたしかにハラハラ刺激的で、脚本展開に幅があり、味を深めるには都合が良い。しかし、最初から昭一のこういう放蕩を知っていたなら、飲み過ぎるなとか、体に気を付けろとか、家の資金をどうしろとかという、当人にはうるさがられるような忠告を惜しまなかったであろう。

 そういえば、昭一は、三社祭や町内の祭事には小菊がちょくちょく来ると云っていた。
 丸顔で色が白く目の大きい小菊は、濃い白塗りの化粧をおとし、祭りの手古舞姿を解き洋装になると別人に見える。私は、昭一が小菊に少なからず興味を抱いていることは、話の色合いから薄々と感じ取っていた。

 小菊は、物腰が柔らかく、誰にでも愛想がよく世話好きなせいか、あちこちからお呼びがかかる売れっ子だった。青森県東津軽郡の出身で、幼少の頃から習った津軽三味線は玄人肌、津軽民謡も上手で、子供の頃、祖母に習ったさびが効いた歌い回しは、天性のものと聞く。

昭一は、華奢だが声は低くビブラートが効いて声量もある。夜毎の居所は、たいてい銀座のはずれの青や赤の薄明かりのネオン街の、部厚い木のドアを入ったステンドグラスの窓際か、長いカウンターの丸椅子かスポットライトを帯びたステージの上だ。そこで、ほろ酔い気分でデュエットのマイクを握ると、不思議にも接待嬢の薄幸そうな母性をくすぐるのである。

 最初の裡は、いつでも賑やかで楽しい酒だ。しかし、いつしか夜が更け杯を重ね酒がまわるにつれ、彼の身体を覆っていた偽りの仮面が剥げ落ち、日常の束縛から逃れたいという欲望が徐々に顔を出す。

 その正体が露出し始めた時はすでに遅い。操縦不能となった欲望は、昭一を周りの者の手に余る、酩酊の魔界という奈落へと引きずり込む。そして、このデカダンスの司祭達は、ズルズルと彼の記憶や意識や自由を奪う。これこそ逃れようのない底なし沼だ。

 若い衆達は、厄介者を店から引きずり出し、彼の家の玄関に放り込む。だが、本人にはなんら記憶がない。しかもツケまわしで飲んでいる。それ故、カラオケバーのマダム達から、支払いの督促電話がかかり、時には昭一の店まで押し込んで来るのも無理はない。近い内に支払うと言われても、それが数ヶ月、半年もすると、彼らは黙っていない。

 中でも新橋のバーのマダムは、日が暮れると決まって店に立ち現れ、イスに足を組んで、集金が済むまでたばこをプカプカ吸い続ける。厚化粧にまとわりつく煙を左右に払いのけ、への字の口に鬼瓦のような顔で、いっこうに帰る気配を見せない。

 昭一も心得たもので、その時間になると、あたふたと神楽坂か新橋、佃島の花街界隈に消え失せる。彼は親父に飲み代を払わせるには、これが最良の策だと承知だ。困ったフミは借金取りが来たからといって、あわてて店を閉める訳にもいかず、図体の大きい専五郎を捜しまわる。

 とりわけ世間体を気にする、生真面目な専五郎は、女衆に居座られるのが嫌で、苦り切った顔でぶつぶつ言いながら、息子の借金を返す。マダムはその金を奪い取るや、礼も言わずにそそくさ夜の闇に消える。とまあ、こういう風景が幾度となく繰り返されてきたのである。

 そんな訳で、親父と息子のケンカが絶えたことがない。しかし、七十七の喜寿に手が届く街の顔役は、げんこつで昭一を追い回すのが精一杯。たいていは、大黒柱に向こう脛をぶつけるのが関の山である。

 「泥棒猫のようなまねをしやがって・・・さてはひもでもやってると思いきや、俺のクレジットカードまで使ってつけ回ってたとはしらなんだ、今度捕まえたらひっぱたいてやる」専五郎は、まるでたこ入道のような顔に青筋を立て、分解しそうな断末魔の叫びを上げるのだが、すぐに咳き込み、へたり込むのがオチであった。

 そんな専五郎を母親のフミはただ、はらはら、おろおろと見ているだけだ。昭一は、しばらくの間、親父から、おまえのような粗忽者は勘当だ、と厄介者呼ばわりされていたが、それから三年も経過すると、親不孝も花街あそびだけはやめて、少しは大人しくなった。ひと頃は、いっしょに遊び歩いた乾物屋の安田も、つき合いの悪くなった昭一が心配だった。

 昭一は、その頃妙な夢を見た。夢に出てくるのは、最初はたいてい専五郎の艶のいいやかん頭だ。それが昭一の上に重くのし掛かり、
 「懲りないやつめがこうしてやる」と、ささくれたような両手で肩を掴み揺すぶる。

 その震えるような手からは容易く逃れられるが、こんどは五十路を過ぎたマダムが、眉間に皺を寄せ、いびつにかまえた柄杓顔で現れ出る。

 マダムは、いつもは昭一の座るカウンター越しにいるが、飲み代を払わないで不意に退散しようとすると、こちら側に風のようにスルリと抜け出て、
 「昭ちゃん、つけは借金返してからにして」と低く絞り出すような、身をすくませるようなかすれ声で迫ってくる。

 ところがこのマダムに捕まったらもう逃げられない。マダムは昭一の体に毒針を突き立て、それからゆっくりと蛇のように身体に巻き付いてキリキリと絞り上げる。彼の体はずたずたに砕け、あまりの痛さに悲鳴を上げる。

 やっとの思いでマダムから逃れるや、こんどは、風神が持つ白い大きな袋のようなものが、ヒューヒューと空気を孕んで追いかけてくる。それが行く手に立ちはだかり、昭一を頭から丸ごと強引に飲み込もうとする。

 彼は、吸い込まれまいともがく。そこで昭一はハッと目が覚め、気がつけば胸のあたりを一筋の滴が垂れている。そして思わず、
 「夢で良かった・・・」と放心したようにつぶやくのだった。
 ・・・・・・
 
 嘗て谷村昭一が住んでいた家(三階建てのビル)は、鉄骨造だったが、一見するや、予算不足に無理をした感じで、何回も増改築を繰り返したような体裁をしていた。建ててから四十数年、物置あたりの柱は大分錆つき、地盤が悪い上に商店街の車の往来が多いので、その度に建物がグラグラ揺れた。

 そこで彼は、魚屋や八百屋の紹介で構造専門の建築士に家の調査をしてもらった。その結果、基礎が軟弱で柱や梁が細く、鉄骨の錆は、建物全体に及んでいるということが分かった。そこで耐震補強をしてみたらどうかという話になった。

 しかし、補強するにも限界があり、それをやったところで、基礎からやり直さない限り、危ないことに変わりはないと判明した。

 私もまたときどき昭一から相談を受けたが、隅々まで調べてみると、鉄骨の溶接部分がむき出しになっていたり、腐食していたりしていたので、寿命が近いと判断し、昭一には建て替えを勧めた。昭一にとってみれば、新しいビルに建て直すにしても、具体的にどうするかという専門知識が有るわけでもない。

 自分の頭の中には、あたかも闇夜か霧に覆われたようなスクリーンがあり、そこにおぼろげな輪郭が出没するだけである。

 彼の家は、建てられた当時から紙類や事務用品、子供のお菓子や箒、半纏や足袋や祭りの腹掛けなどの生活雑貨を扱う店を構え、その時は両親と妹との四人暮らしだったが、十歳離れた妹は、既に千葉に嫁に行っていない。昭一は今の商売をやめて、一階をテナントにした四階の貸ビルとし、二、三、四階に住むことも考えていた。

 「もし所帯を持つことんなりゃあ、玄関は二つか。うるさい親父と出入りが一緒は困るし、二、三、四階の上下で暮らすということか。まずはたこ親父を攻略し、危険な関係に終止符を打ち、資金援助をしてもらわなければラチもあかん」などと頭の中は止めどもなく揺れ動いていた。

 その混乱は、もつれた鍵の山のようだった。それは、どの部屋の鍵をどこの鍵穴に差し込むべきかというような悩みであり、全体の規模をどうするかという迷いでもあった。
 
 どうにもこうにもラチがあかず家の将来が見えない、困ったモンだ・・・このように家のことを朝から晩まで考えているだけで、四十肩が痩せた彼の肉体を責める。仕方がないので、ときどき深川のカイロプラクティックの整体師に治療してもらう。祭りの御輿も担げなくちゃあ・・・

 彼は、新しいビルが出来たとしても、果たして銀行ローンの借金を返せるかどうか、それにテナントと住宅がくっついていては、さぞや騒々しいのではないかと心配だった。そのうち、ああでもない、こうでもないでは頭の整理がつかん、こういう時にこそ、専門家にアドバイスがもらえれば有難い・・・と考えるに至った。

  続く・・・

      

2011年01月20日


信州の建築家ノート


きょうの新聞によれば、
宇宙航空研究開発機構と三菱重工業が、次世代ロケット
「H3」の実用化に向けて技術的な検討を始めたという。

「H3」は、まったく新しい3段ロケットらしい。

3段ロケットにすれば、有人飛行の際には3段目のエン
ジンを打ち上げの失敗時に緊急脱出用に使える。

「H3」の推進力は、個体燃料に頼らないというから、
アメリカのスペースシャトル・チャレンジャーのような
事故には繋がり難いのではないかと思う。

打ち上げ費についても、H2Aロケットにくらべて2~3
割安くする予定という。

日本の有人飛行計画については、まだ国の決定が出ていな
いが、これからの研究開発の成果に期待したい。


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きょうの塩尻からみた北アルプス連山は、深い霧に覆われいつもの雄大な姿を
隠していました。

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  私の小説「戦う住宅」より
      改心

 
 そんなある時、昭一は、新聞で川上の事務所案内の記事を見て、ふらっと訪ねた。
 上野駅前に建築事務所を構える川上は、ロンドンで都市計画を学んだ。聞けばテナントビルに明るく風体こそ頼りないが、昭一に合いそうだった。
応接室で昭一に向かい合った川上は、昭一に対して、
 「頭金を作りさえすれば計画は可能ですよ」と言い、昭一の希望を聞きながら、さっそくその場で手書きの具体案を示した。

 そのプランは、地階と一階が介護用品専門店のテナント、二階が両親の住まいと文房具を兼ねた雑貨屋になっていて、テナントがキーポイントであった。これを見た昭一は、
 「今のような地味な店でも、借金返済の為には止めるわけにはいかないということか」と思った。

 川上のプランでは、三、四階が昭一の住居で、一階から四階まではエレベーターで繋がり、テナントとは別の玄関ホールを備えていた。

 ちなみに、後日送られてきたパースに描かれた計画は、ガラスのはまった四階建ての白亜のビルで、縦に長くすると一階部分に空きが生まれ、そこに駐車スペースが確保できるというシンプルな案だった。

 この案では、一階がコンクリートの打ち放しで、その上に3階分の鉄骨が載る構造になっていた。この案によれば、昭一家族と専五郎家族はそれぞれ別々の玄関から出入りすることができるし、駐車スペースも三台分はあった。

 昭一は、それから幾度となく川上の事務所を訪ねた。互いを知る裡、カラオケに興ずるくらいうち解けた。だが、昭一の資金だけでは実現が遙か遠くに見えた。ここはムリをせず、計画を先送りすることで落ち着いた。

 建築費の返済の鍵を握るのは、やはりテナント収入であり、加えて文房具屋の稼ぎと、親の資金援助ということであろう。テナントをどう探すか、好きな酒がやめられないのに・・・それでも昭一は、川上に巡り会ったことで、沈みがちな心の風景に僅かな雲間の日差しのような明るさを感じた。これは思いもかけない前進だった。

 夏の昼前の下町商店街は活気にあふれ、買い物客や見物客で賑わっていた。ひと際、世話好きの八百屋の主人のしゃがれ声が腹の底からあたりに響き渡っていた。

 「キュウリとナス安いよ、お姉さんもってきなー・・・」

 反り返った板塀や、黒ずんだトタン屋根、道にはみ出たブリキで葺いた物置などが入り組んで、ここは戦後から続く風景を持ち続けている。
 出隅や入隅が巧に混じり込んで変化のある陰影からはどこか懐かしい。雨の日などは、家々の外壁が互い違いに複雑で、しかもトタンの軒樋がはずれたり、穴が空いてるせいか、その互いに重なり、もつれ合った屋根の上から下に向かって水がポタポタとひっきりなしに伝わる。

 屋根に跳ね返った大量の水滴がやがては集まり、纏まり滝のようになって勢いよく路上に飛び散る。こういう風景は下町の裏路地でも所々で見かける。

 さて、昭一は、川上に会ってからというもの、そう遊んでばかりもいられぬと思い、以前より酒の量も減った。同時にまた家の商売にも身を入れだしたのにはまわりも驚いた。だが、彼の飽きっぽい性格を知る者は、いつもの気まぐれに相違ないと思っていた。

 専五郎もまた、昭一のそういうぐうたらを見抜いていた。表向き八十になったのを境に、昭一に家督を譲ると云ったが、それにはまだ疑問符がついていた。そう容易く昭一を信用する訳にはいかなかった。

 いつまで独り身で通す気なんだ・・・専五郎は年金暮らしながら観察を怠らないのは、昭一に対する作戦だった。その時はまだ財産を渡すというはっきりした意図はなく、蓄えた通帳を頑なに守り、ガミガミ口のほうも達者だった。

 柔らかい陽の光が差込み始めると、一階奥の火鉢のある六畳間には、いつも決まって二軒隣の豆腐屋が来る。専五郎の碁の相手だ。専五郎は、豆腐屋と碁盤を挟んでたわいもない世間話に興じ、ときどき「パチーン」と石を置く。

 専五郎は、息子の顔を見るや、禿げ頭に胡座をかいたようなぎょろ目で、古びた鴨居の向こうの昭一を追いかける。昭一は、ぎょろ目に射抜かれるのを避けるかのように、黒光りの階段をギシギシと足早に二階へかけ上る。

 夕方になると、酒場のネオンが恋しくてたまらない昭一。それでも川上の助言を懐に、散財を控えなければと、家にいる機会が増えた。しかし、ギャンブルのほうは相変わらずだったし、酒も三日を空けることがなかった。

 「鉛筆四本でええと三百円。また来てね」などと客をさばくのも上手になったが、店のレジを閉めるや、不安が陽炎の如くゆらゆらと立ち上がり、それが頭の中で交錯する。

 その揺らめきは最初は形を為していないが、そのうちに、
 「間違ってもビルを飲み屋にだけは貸さないでおこう、手堅いテナントを入れるに限る・・・」というような、おぼろげな輪郭を持ち始めるのだった。
 
 ある日の昼下がり、私は、仕事ついでに昭一を訪ねた。昭一が相変わらずの体たらくをやっていたら、ここで一つお灸でも据えてやろうと思っていた。ところが、彼はいつもの二日酔いではなかった。

 仏間で彼と世間話をしていると、母のフミがお盆に御茶をのせてヌーと顔を出した。フミは、いきなり何を思ったのか、薄い座布団に座る昭一に目を遣ってから、ちゃぶ台で茶をすする私にたいして、
 「私の亭主もだいぶくたびれてんですが、あんなんでも、いつまでもあると思うなって、昭一にもそろそろ年貢を納めてもらわんと・・・さんざん遊んどいて、そこんとこが分かってるんやら・・・」と眉間に深い皺のある顔で云った。

 昭一が藪から棒の母の言葉に狼狽えるかのように、
 「またこれだ・・・よりによってこんな時にいつものボヤキだ・・・きょうの俺はまともだからいいじゃあないか・・・」というような嫌な顔で聞き流そうとしたので、私は、
 「そうですねえ、年貢の納め時ですか・・・でも昭一さん、最近は変わったんですよ・・・」といい始めたものの、その後は何を云おうか言葉につまった。

 「だいたい道楽なんてそう簡単に止まらん・・・親の気持ちが分かるとか分からないとか、親の稼いだ金に手を付けるなとか、年貢だとか・・・小菊さんとはどうなってるんだ・・・きょうは建て替えや小菊さんの話でもしようかと思って寄らせてもらったのに、またの機会にでも寄らしてもらおう・・・」私は心の中でそうつぶやき、ひとまず、その場を辞した。

  続く・・・

2011年01月24日


きょうの松本城


きょうの朝八時頃の松本城(国宝)です。
朝日に向かってシャッターを切ったので、
少々逆光になりましたが・・

堀のカモも気持ちよさそう?にスイスイと
泳いでおりました。

そういえば、堀には氷が張っていませんで
したが、きょうはさほどの低い気温ではあ
りませんでしたからこんな具合カモ・・・

ここでは近年、太鼓門や城内屋敷が復元され、
今まで裸の大将の様だった城もいい雰囲気に
なって、訪れる観光客にとっても喜ばしいこ
とではないでしょうか。

この城は、黒い腰板に特徴があり、ずっしり
とした重量感があり、バランスもいいと思い
ます。

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2011年01月26日


日本民芸館で感じた


先日、東京駒場にある日本民芸館を訪れた。

ここでは柳宗悦らによって繰り広げられた
民芸運動のあらすじがカイ間見える。

中でも」バーナード・リーチの陶芸が良か
った。一見して彼の作だと分かるのも、か
のモダーンな作であるが故に納得がいく。

建築もまた古きにかかわらずモダーンであ
った。瓦屋根にしろ、腰のなまこ壁にしろ
今では見られなくなった商家の雰囲気を
漂わせている。

二階のむしこ窓もなかなかいい。城漆喰で
格子を塗りくるめているが、ここには岡山
の吹屋などにも見られる民家の伝統の味が
ある。

2011年01月28日


信州の建築家ノート


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きょうの諏訪湖は、殆ど全面結氷しています。塩嶺峠からやや下った
あたりからの遠望ですがいかがでしょうか。

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    私の小説「戦う住宅」より
             「改心」

 それから一年くらいは経った。昭一は、その頃、駒形橋の近くに住む幼なじみの妹、さゆりとつきあっていた。彼女は前から昭一に好意を抱いていたが、その仄かな思慕を裏切るような、小菊との密会をいぶかしんでいた。小菊は、さゆりのことを知って嫉妬でもしたのか、しばらく雷門に来なかった。

 だが、昭一には、簡単にはぬぐい去れない小菊への想いがあった。彼女が近くに居るだけで、日常のしがらみから救われるような気がした。

 そんな訳で、会いたくなると、つい、つい本所の八洲屋に足が向いた。しかし八洲屋に出掛けたところで、ひいき客の座敷に頻繁にお呼びがかかる売れっ子芸者では、そこに分け入り宴を中座させることも叶わない。

 しかたなく、深夜になるまで離れの座敷で地味な芸者と、ひたすらつまらぬ黙り酒を飲むしかない。いずれにしろ、待ち続けるのは耐え難いことであった。

 小菊は、遊び心で昭一をじらしてみたいと思った。昭一の変化を期待していたことも確かだが、同時にまたいっとき彼との距離を置いてみたかった。

 だが、昭一には、親父に勘当されそうになった深い蹉跌が色濃く残り、それがいつしか女の肌を嘗めるような癒しの衣に変化していて、この衣には女を包み込む魔力があった。そして、その魔力は客慣れした小菊のならわしさえも翻弄するに十分であった。

 男女の成り行きは、予想もつかないものだ。そのうちいつしか、昭一と小菊は憚(はばか)ることなく、薄紅色の蓮の花の咲く上野の不忍池のあたりで会うようになった。

 小菊は、しばらく昭一に会わないでいると、彼が何をしでかすかわからないという不安に苛まれた。毎日繰り広げられる、宴客との化かしあいや浮き世話や縁談話に飽きていたので、珠には昭一にも寄りかかりたい、なぐさめて欲しいという想いがあった。

 そんなある日、小菊は、意を固めたように長い髪をピンで留め、グレーのスーツ姿で颯爽と昭一の前に現れた。不忍池には、蒲の穂が立ち枯れになって並んでいた。昭一は彼女の和服姿に慣れていただけに、思いもかけない洋装という出で立ちに驚いた。小菊は、昭一の面食らったような表情を捉えるや、心の底に漂う積年の想いを引きずり出すように、ゆっくりとした調子でかみ砕くように云った。

 「ねえ昭一さん、私たちってなんだか昔っからの腐れ縁のようだけど、このまま時間の経つのを見守っているだけでいいのかしら・・・人生なんて過ぎ去るのも早いし、所詮は気まぐれなもの・・・あなただって何時までも若くないんだから・・・

 これから先、家を新しくして世間並みに暮らしたいんだったら、このままでは上手くないことくらいは分かってるでしょう、だから私の云うことも少しは考えて欲しいの・・・いまさら構えても仕方ないんだけど、ギャンブルもあの女をからかうのも、いい加減やめにするって・・・これは貴方のためなのよ・・・」小菊の表情は何時になく優しげだった。

 しかし、これを押さえるように、
 「そうだな、それは分かってる、だが、こういうことはそう簡単には止められん、要するにみんな俺の体の一部のようなものなんだ、ここまで生きてきた栄養にもなってる・・・たしかにお前の云うことが分からないでもないが、その通りにしたら、俺にはいったい何が残るっていうんだ、まるで中身がない蝉の抜け殻みたいになってしまうじゃないか」と昭一がこういう生半可な返事をしたので、小菊は、こんどは突っぱねるようにこう云った。
 
 「ああいう世間知らずな女をいつまでもて遊ぶつもり・・・それにあいかわらずのギャンブル三昧・・・四十幾つにもなって甲斐性もなくブラブラして・・・もしも私がいなくなったらどうするっていうの、これから一人でやっていけるの・・・こういうことは二度とは云いたくないからね、もうこんりんざいご免なんだよ・・・

 だから、大人しく私のいう事を聞いて舟の舳先の向きを変えるか、それとも瘋癲(フーテン)遊びにどっぷり浸かって、その思い込み女と競馬競輪の三角関係で絡み合って隅田川でいっしょに心中でもするか、どっちかに決めるんだね・・・いっときますけど、これは丁か半かじゃあ済まない、あなたの心がけだよ・・・

 今のままだったら私達はもうこれでおしまい・・・浅草寺の観音様だってきっと同じ事を云うだろうさ・・・」小菊は、いつになく怖い視線で昭一を睨み付けたが、目にはうっすらと光るものがにじんでいた。

  続く・・・・

2011年01月31日


サッカー、やりましたね


延長後半4分、李忠成が放った左のボレーシュートが
試合を決めました。2大会振り4度目の優勝の瞬間。

サッカーアジア杯の29日、日本はオーストラリアに
1対0で勝利し優勝を遂げました。

なかなか点が入らない展開の中、まさに劇的とも云え
る値千金のシュートでした。

ザッケローニ監督と日本チームに乾杯!

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